相川茂郷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/29 06:16 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動相川 茂郷(あいかわ しげさと、1877年〈明治10年〉2月8日[1] - 没年不詳)は、台湾総督府官僚。兵庫県明石市長。族籍は東京府平民[1][2]。
経歴
神奈川県平民・相川正麿の長男[1][2]。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業[1][3][4]。分家した[2]。北京財政学堂に入り、台湾総督府警視となり、澎湖庁長、嘉義庁長等を歴任[2]、台湾総督府事務官に昇進勤務した[4]。
1921年(大正10年)に明石市長に選出された。東京市に原籍を有した[4]。
家族・親族
- 相川家
- 父・正麿[1][2]
- 妻・きく(1884年 - ?、若林玵蔵の長女)[1][2]
- 男・茂宣(1911年 - ?)[1][2]
- 二男・正基(1914年 - ?)[1][2]
- 長女・敏子(1907年 - ?)[1]
- 長女・園枝(1909年 - ?)[1][2]
脚注
参考文献
- 『東京帝国大学一覧 明治37-38年』東京帝国大学、1886-1912。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 原田登編『帝国大学出身録』帝国大学出身録編輯所、1922年。
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