相川誠也とは? わかりやすく解説

相川誠也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/24 00:31 UTC 版)

相川誠也
選手情報
フルネーム 相川誠也
国籍 日本
種目 短距離走
生年月日 1984年4月6日
出身地 千葉県
居住地 千葉県
100m 10秒30(2002年)
200m 21秒01(2002年)
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相川誠也(あいかわ まさや、1984年4月6日 - ) は、千葉県出身の元陸上競技選手。2002年の日本ジュニア、インターハイ、国体100m優勝者。

中学時代

1999年、君津中時代に第26回全日本中学校陸上競技選手権大会の100mで優勝。当時はサッカー部の活動を中心にしており、陸上の練習は大会前などに行う程度であった。中学時代のベストは10秒80。

高校時代

2000年、高校への進学先はサッカーの強豪でも知られる市船橋高校であったが、ここでは陸上部に所属。同年、国体少年B100m優勝。翌年100mでインターハイ、国体ともに2位。一方国際大会では世界ユース陸上選手権で7位入賞と健闘する。そして2002年、日本ジュニア選手権で優勝。世界ジュニア選手権の出場資格も得たが、インターハイに専念するために参加はしなかった。そのインターハイでは100mで自己ベストでもある10秒30の好タイムで優勝。同大会400mRでは2位。200mでも無風で21秒01ながら2位であった。そのときの優勝者は高平慎士であり、5位には塚原直貴が入っている。  国体では更なる記録更新を狙ったが、準決勝10秒39が最高、決勝は10秒41で優勝し、自己新はならずも高校三冠を達成した。その後のアジアジュニア選手権で400mRのアンカーを務め、ジュニアアジア新記録(当時)で優勝。高校三年間で同学年相手には無敗であった。

大学進学後

その後は早稲田大学に進学。第一線で活躍するが、同期の高平慎士がタイトルを取る一方で、彼は個人でのタイトルにはとどかず、自己ベストの10秒30も更新することはできなかった。しかし、リレーでは要として走り、最後のタイトルとなった4年時の日本選手権リレーでは早大の10連覇に貢献。有終の美を飾った。 その後の就職先は一般企業に決め、実質大学卒業をもって選手生活を引退することとなった。

自己記録

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