増永吉次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/18 00:19 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動増永 吉次郎(ますなが きちじろう、1884年(明治17年[1]) - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。澎湖庁長。
経歴
鹿児島県に生まれる[1][2]。1903年(明治36年)7月、台湾総督府国語学校師範部を首席にて卒業し、公学校長を務める[1]。1915年(大正4年)台南庁属となり、学務係長を拝命する[1]。ついで台中州竹山郡守、同州大屯郡守、同州彰化郡守を経て[3]、澎湖庁長に就任した[2]。
脚注
参考文献
- 橋本白水 『評論台湾之官民』 南国出版協会、1924年 。
- 橋本白水 『台湾の事業界と人物』 南国出版協会、1928年 。
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