告森良とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 告森良の意味・解説 

告森良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/16 00:29 UTC 版)

告森良

告森 良(こつもり りょう[1] / こつもり はじめ[2] / つげもり りょう[3]1853年12月21日(嘉永6年11月21日[4] - 1919年大正8年)11月27日[5])は、明治から大正期の内務官僚。官選県知事

経歴

伊予国宇和島城下御殿町(現愛媛県宇和島市)出身。宇和島藩士・告森桑圃の長男として生まれる[1]1873年神山県に出仕。以後、兵庫県広島県長崎県愛媛県京都府で勤務[4]

1887年5月、愛媛県東宇和郡長に就任[4]。以後、兼西宇和郡[6]、京都府参事官岐阜県参事官、埼玉県書記官岡山県書記官、徳島県書記官などを歴任[4]

1908年3月、鳥取県知事に就任。倉吉中学校県立商業学校の新設、農事試験場拡張、耕地整理事業、因伯牛の改良などを推進[7]1910年6月、千葉県知事に転任。同年8月、利根川の大洪水が発生し、内務省に対して国営による利根川水系改修工事を働きかけ、その実現に尽力した。また、県産米の品質向上のため、県営米穀検査の実施を推進[3]1913年6月1日、依願免本官となり退官した[8]

その後、伊達家顧問を務めた[1]

親族

脚注

  1. ^ a b c d 『愛媛県百科大事典 上』520頁。
  2. ^ a b 『愛媛県史 人物』256頁。
  3. ^ a b 『新編日本の歴代知事』336頁。
  4. ^ a b c d 『人事興信録』第3版、つ43頁。
  5. ^ 『大正過去帳 物故人名辞典』192頁。
  6. ^ 『官報』第1645号、明治21年12月21日。
  7. ^ 『新編日本の歴代知事』760頁。
  8. ^ 『官報』第251号、大正2年6月2日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録』第3版、1911年。
  • 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
  • 『愛媛県百科大事典 上』愛媛新聞社、1985年。
  • 『愛媛県史 人物』愛媛県史編纂委員会、1989年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「告森良」の関連用語

告森良のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



告森良のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの告森良 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS