西村亮吉とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 西村亮吉の意味・解説 

西村亮吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 20:41 UTC 版)

西村 亮吉(にしむら りょうきち、天保10年12月13日1840年1月17日) - 1917年大正6年)7月2日)は、日本の官僚、政治家。大分県知事鳥取県知事、貴族院議員。

略歴

土佐藩藩士として、幕末尊攘運動に加わる。

明治維新後は、1879年明治12年)10月30日に大分県令に任命された(1886年(明治19年)7月12日より県知事)。西村は1878年(明治11年)に開設された大分県会と、県会による備荒儲蓄法の審議棚上げや警察費予算の否決などで対立した。1889年(明治22年)には県会から日田・玖珠郡大水害の復旧補助を政府に陳情するように建議を受けたが、これを拒否し、県会から大分県で唯一の不信任決議を受けている(ただし、法的には無効であった)[1]

その後、鳥取県知事を歴任。1892年(明治25年)8月2日には貴族院議員に勅選され[2]、1917年7月2日に72歳で没するまで貴族院議員を務めた[3]1904年(明治37年)11月2日、錦鶏間祗候に任じられた[4]

栄典

位階
勲章等

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 県会(けんかい) 実現できなかった「地方自治」 大分歴史事典
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、5頁。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、24頁。
  4. ^ 『官報』第6405号、明治37年11月4日。
  5. ^ 『官報』第1019号「叙任」1886年11月20日。
  6. ^ 『官報』第2207号「叙任及辞令」1890年11月6日。
  7. ^ 『官報』第2898号「叙任及辞令」1893年3月1日。
  8. ^ 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。
  9. ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「西村亮吉」の関連用語

西村亮吉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



西村亮吉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの西村亮吉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS