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岩崎小二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/10 03:11 UTC 版)

岩崎小二郎

岩崎 小二郎(いわさき こじろう、弘化3年1月10日1846年2月5日[1] - 1895年明治28年)6月22日)は、幕末の大村藩士、明治期の大蔵内務官僚政治家県知事元老院議官貴族院議員。旧姓・朝山。

経歴

大村藩・朝山松台の二男として彼杵郡下嶽村に生まれる。藩校五教館に入り松林廉之助に学び、藩内の尊皇攘夷派に加わり活動した。

明治2年6月1869年7-8月)、民部官に出仕し、大主典兼監督大祐、兼庶務大祐、権少史などを務める。明治4年1月1871年)から黒田清隆開拓次官に随行しアメリカ合衆国ヨーロッパを訪問。同年7月から大蔵省留学生としてロンドンで学び、1874年(明治7年)7月に帰国。大蔵省七等出仕となり、1876年(明治9年)大蔵少丞兼国債助に就任。

1876年、大蔵少書記官となり、大蔵権大書記官兼銀行局長、大蔵省書記局御用掛などを歴任し、参事院議官補に就任し、法制局参事官となる。1889年(明治22年)12月、秋田県知事に発令されたが、胃病のため辞退し赴任せず、1890年(明治23年)3月、元老院議官に任じられた。同年5月、滋賀県知事に転任。以後、大分県知事、福岡県知事を歴任。

1895年(明治28年)4月19日、貴族院勅選議員に任じられたが[2]、胃癌のため同年6月に福岡で死去。

栄典

位階
勲章

脚注

  1. ^ 瀬谷純一『歴代秋田県公人録』1915年、p.4。
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、6頁。
  3. ^ 『官報』第3557号「叙任及辞令」1895年5月11日。
  4. ^ 『官報』第719号「賞勲叙任」1885年11月21日。
  5. ^ 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。
  6. ^ 『官報』第1952号「叙任及辞令」1889年12月28日。
  7. ^ 『官報』第5393号「叙任及辞令」1895年6月22日。

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。





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