久安博忠
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久安 博忠(ひさやす ひろただ、1900年(明治33年)2月25日[1] - 1981年(昭和56年)9月4日[2])は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選秋田県知事。
経歴
岡山県出身。久安平治郎の二男として生まれる[3]。第六高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し社会局属となる[1][3][4]。
以後、地方警視として島根県警察部・神奈川県警察部・長崎県警察部・兵庫県警察部各勤務、警視庁警視として総監官房・特別高等部各勤務、宮城県書記官・学務部長、栃木県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、神奈川県書記官・警察部長、宮城県内政部長などを歴任[1][3]。
1944年8月1日、秋田県知事に就任。戦時体制の整備に尽力し、米穀供出の生産供出事前割当制度の実施、秋田県立女子医学専門学校の創設を行った[1]。終戦後の1945年10月27日、依願免本官となり退官した[5]。その後、公職追放となり[4]、実業界に転じ鳩物産社長・会長、日本製薬会長を務めた[1]。
脚注
参考文献
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