久安百首
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久安百首(きゅうあんひゃくしゅ)は、平安時代後期、崇徳院の命により14名の歌人が久安6年(1150年)までに詠進した百首歌。久安六年御百首、崇徳院御百首とも称される[1]。
- ^ a b c d 有吉保編『和歌文学辞典』1991年 おうふう 140頁
- ^ 書陵部蔵(155・36)本、勧修寺旧蔵本など。「群書類従」和歌部169巻所収。(松野陽一・𠮷田薫編『藤原俊成全歌集』2007年 笠間書院〔ISBN 978-4305703286〕1007頁)
- ^ 京都女子大学図書館谷山文庫蔵本と今治市河野美術館蔵本の二本が知られている。いずれも同系統で、書写年代もともに室町時代とされる。(松野陽一・𠮷田薫編 前掲書 1007頁)
- ^ 谷山茂『谷山茂著作集二 藤原俊成人と作品』1982年 角川書店 259頁
- ^ 松野陽一『鳥帚 千載集時代和歌の研究』1995年 風間書房 16頁
- ^ 『詞花集』作者192名中、入撰が1首の作者は122名。(谷山茂 前掲書 265頁)
- ^ 『長秋詠藻』歌番号369「雲居より馴れし山路を今更に霞隔てて嘆く春かな」の詞書による。なお、俊成が従四位下に昇叙されたのは、久安7年(1151年)1月6日。
- ^ 久安百首の奥書として藤原定家が記した識語より。
- ^ 久安百首の藤原俊成による奥書より。
- ^ 久安百首の奥書として藤原定家が記した識語より。ただし、この時まだ定家は生まれておらず、定家が「再奏覧できなかった」と言うのが何かの間違いである(奏覧が仁平2年頃、仁平3年暮秋に隆季の歌も切り入れた上で完成・再奏覧した、もしくは完成したが保元の乱の予兆で再奏覧を控えた)可能性も否定はできない。(谷山茂 前掲書 268-270頁、有吉保編 前掲書)
- ^ 崇徳院19首、公能9首、教長7首、顕輔11首、季通13首、隆季3首、親隆8首、実清1首、俊成11首、清輔13首、堀河15首、兵衛8首、安芸4首、小大進4首(谷山茂 前掲書 274頁)
- ^ 京都女子大学図書館谷山文庫蔵本
- ^ 谷山茂 前掲書 271-272頁
- ^ 小大進の恋歌「今朝きつる心にこりぬ東雲の空しらずして明けば帰らじ」が漏れている。
- ^ 勅撰集名・巻名・歌番号は、国文学研究資料館「古典選集本文データベース」による。歌論書は『新編日本古典文学全集87 歌論集』(ISBN 4096580872)、松野陽一・𠮷田薫編 前掲書、千人万首による。
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