下岡忠治とは? わかりやすく解説

下岡忠治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/30 04:01 UTC 版)

下岡忠治
下岡忠治

下岡 忠治(しもおか ちゅうじ、1870年10月26日明治3年10月2日[1]) - 1925年大正14年)11月22日)は、日本内務農商務官僚政治家衆議院議員朝鮮総督府政務総監。号・三峰。

経歴

庄屋酒造業、下岡直一の二男として摂津国川辺郡広根村(現:兵庫県川辺郡猪名川町)で生まれる。一時東京に転居し、麹町小学校を卒業[2]。その後は、府立大阪中学校[3]泊園書院[4]第三高等中学校を経て、1895年7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。第三高等中学校、帝国大学時代を通じての同級生に浜口雄幸幣原喜重郎がいる。大学卒業後内務属となり内務省大臣官房文書課勤務となる。同年11月、文官高等試験に首席で合格。[5]

1896年1月、熊本県参事官に就任し、京都府参事官、茨城県書記官法制局参事官、兼法制局書記官などを歴任。1906年11月、秋田県知事となる。1908年10月、大浦兼武に見出され農商務省農務局長に転じ、農商務次官枢密院書記官長内務次官を歴任した。

1915年3月、兵庫県郡部区から第12回衆議院議員総選挙に出馬し当選。以後、1924年5月の第15回総選挙まで連続4回当選した。公友倶楽部公正会に所属。第2次大隈内閣では、1915年7月から8月まで内務参政官に就任。その後、憲政会総務も務めた。

1924年7月、朝鮮総督府政務総監に就任。鉄道局長事務取扱などを兼務。1925年11月、胃癌のため[6]現職で死去した。

栄典

位階
勲章等

親族

伝記

  • 三峰会編『三峰下岡忠治伝』三峰会、1930年。[17]

脚注

  1. ^ 『日本近現代人物履歴事典』267頁。
  2. ^ 『麹町小學校の百年』千代田区立麹町小学校創立百周年記念会、1974年。
  3. ^ 北野高校の前身たる府立大阪中学校か、三高の前身たる官立大阪中学校か秦郁彦の事典の類では不明であるが、『三峰下岡忠治伝』に「大阪に始めて開かれた中学に入り」とあるので、1880年成立の官立大阪中学校ではなく、1877年成立の府立大阪中学校と思われる。
  4. ^ 下岡忠治(しもおか・ちゅうじ 1870-1925)関西大学 東西学術研究所 2020年6月18日閲覧
  5. ^ 三峰下岡忠治伝』三峰会、1930年、34頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1176793/1/44 
  6. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)14頁
  7. ^ 『官報』第4436号「叙任及辞令」1898年4月18日。
  8. ^ 『官報』第5046号「叙任及辞令」1900年5月1日。
  9. ^ 『官報』第5645号「叙任及辞令」1902年5月2日。
  10. ^ 『官報』第8608号「敍任及辞令」1912年3月2日。
  11. ^ 『官報』第3707号「叙任及辞令」1924年12月29日。
  12. ^ a b 『官報』第3976号「叙任及辞令」1925年11月25日。
  13. ^ 『官報』第8257号「叙任及辞令」1910年12月28日。
  14. ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。
  15. ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
  16. ^ 人事興信録 第5版』人事興信所、1918年、1093(あ53),1257-1258(し35-し36),1279(し76)頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1704046 
  17. ^ 本人によるものではなく、彼の死後に三峰会によって製作された。

参考文献

公職
先代
有吉忠一
朝鮮総督府政務総監
第4代:1924年 - 1925年
次代
湯浅倉平
先代
弓削幸太郎
鉄道部長
朝鮮総督府鉄道局長事務取扱
1925年
次代
大村卓一
先代
(新設)
内務省参政官
1915年
次代
藤沢幾之輔
先代
水野錬太郎
内務次官
第19代:1914年 - 1915年
次代
久保田政周
先代
河村金五郎
枢密院書記官長
1913年 - 1914年
次代
有松英義
先代
押川則吉
農商務次官
1912年 - 1913年
次代
橋本圭三郎




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