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河村金五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/15 07:17 UTC 版)

河村金五郎

河村 金五郎(かわむら きんごろう、明治2年8月13日[1]1869年9月18日) - 昭和16年(1941年3月29日)は、宮内官僚枢密院書記官長

経歴

津山藩士河村弘貞の長男として生まれる。1894年(明治27年)に東京帝国大学法科大学を卒業[1]内務省参事官を経て、1897年(明治30年)に枢密院書記官に任命された[2]。その後、法制局参事官[3]行政裁判所評定官などを兼ねた。1908年(明治41年)、枢密院書記官長に昇進し[4]1910年(明治43年)には宮内次官も兼任した[5]1913年大正2年)からは枢密院書記官長を辞し、宮内次官専任となった。1915年(大正4年)、退官[6]

退官後は日本郵船の監査役を務めた[1]。墓所は多磨霊園

栄典

親族

脚注

  1. ^ a b c 『大正人名辞典』P.572
  2. ^ 『官報』第4206号、明治30年7月10日
  3. ^ 『官報』第4614号、明治31年11月15日
  4. ^ 『官報』第7524号、明治41年7月25日
  5. ^ 『官報』第8035号、明治43年4月8日
  6. ^ 『官報』第910号、大正4年8月13日
  7. ^ 『官報』第8257号「叙任及辞令」1910年12月28日。
  8. ^ 『官報』第8392号「叙任及辞令」1911年6月14日。
  9. ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。

参考文献

  • 五十嵐栄吉『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。 
公職
先代
渡辺千秋
宮内次官
1910年 - 1915年
次代
石原健三
先代
都筑馨六
枢密院書記官長
1903年 - 1913年
次代
下岡忠治


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