吉田忠一
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吉田 忠一(よしだ ちゅういち、1906年(明治39年)3月13日[1] - 1993年(平成5年)10月22日[2])は、日本の内務・厚生官僚、実業家。最後の官選鳥取県知事。
経歴
兵庫県明石市出身[1]。大阪高等学校を卒業。1928年10月、高等試験行政科試験に合格。1929年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、石川県属となる[3]。
以後、労働局事務官、島根県書記官・警察部長、厚生省会計課長、同勤労局長などを歴任[4]。
1947年2月、鳥取県知事に就任。昭和22年度当初予算を編成し、知事選挙を執行して、同年4月に退任。その後、埼玉県副知事に就任した[4]。
1950年、警察予備隊に参加し第1管区総監[3]となるが、部下の不祥事の責任を取り辞職。その後、アジア石油常務、共同石油常務を歴任[2]。
脚注
参考文献
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年
- 『現代物故者事典 1991~1993』日外アソシエーツ株式会社、1994年
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