伊集院俊_(海軍軍人)とは? わかりやすく解説

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伊集院俊 (海軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/03 02:25 UTC 版)

伊集院俊

伊集院 俊(いじゅういん とし / しゅん、1871年12月26日明治4年11月15日〉 - 1925年大正14年〉2月4日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将鹿児島市

経歴

鹿児島県出身。伊集院篤の息子として生まれる。1894年(明治27年)11月、海軍兵学校21期)を卒業し、少尉候補生として「扶桑」に乗り組み日清戦争に従軍。1895年(明治28年)12月に海軍少尉任官。水雷術練習所で学んだ。

1899年(明治32年)9月、海軍大尉に昇進し「笠置分隊長に就任。以後、「大島」航海長、佐世保水雷団水雷艇隊艇長、軍令部出仕、清国南部出張、軍令部第3局局員、大本営海軍参謀などを歴任。南清および満州を偵察。1904年(明治37年)4月、第3艦隊参謀となり日露戦争に出征。1905年(明治38年)1月、海軍少佐に進級。日本海海戦などに参戦した。

1905年12月、イギリス駐在に発令された。1908年(明治41年)7月、「朝日」水雷長に就任。その後、南清艦隊参謀、第3艦隊参謀、軍令部参謀を経て、1909年(明治42年)10月、海軍中佐に進級した。同年11月、軍令部参謀兼参謀本部員となり、その後、「朝日」副長、兼海軍砲術学校教官、海軍水雷学校教官、軍令部参謀などを経て、1914年(大正3年)12月、海軍大佐に昇進した。

1915年(大正4年)12月、「宗谷」艦長となり、以後、「津軽」艦長、在支那公使館付武官天津在勤)、軍令部出仕などを歴任し、1919年(大正8年)12月、海軍少将に進み軍令部参謀を兼務した。1920年(大正9年)10月、佐世保防備隊司令に就任。1922年(大正11年)8月、軍令部出仕となり、同年12月、待命となる。1923年(大正12年)3月、予備役に編入された。その後は鹿児島市長を務めた。

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ 『官報』第2237号「叙任及辞令」1920年1月21日。
  2. ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
  3. ^ 『官報』第1189号・付録「叙任及辞令」1916年7月18日。

参考文献

  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第9巻、発売:第一法規出版、1995年。


公職
先代
山本徳次郎
鹿児島市長
6代:1923 - 1925
次代
上野篤



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