橋本清吉とは? わかりやすく解説

橋本清吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 16:45 UTC 版)

橋本 清吉
はしもと せいきち
生年月日 1898年(明治31年)8月14日
出生地 三重県宇治山田町
(現在の三重県伊勢市
没年月日 1955年(昭和30年)7月2日
出身校 東京帝国大学
旧制 三重県立第四中学校(現三重県立宇治山田高等学校
所属政党 改進党
配偶者 あり
選挙区 旧三重2区
当選回数 1回
在任期間 1953年4月19日 - 1955年1月24日
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橋本 清吉(はしもと せいきち、1898年明治31年〉8月14日 - 1955年昭和30年〉7月2日)は、日本の内務官僚政治家衆議院議員改進党、当選1回[1])。

経歴

1898年(明治31年)三重県宇治山田町(現在の三重県[1]伊勢市)で[2]、橋本善三郎の二男として生まれた[3]

旧制 三重県立第四中学校(現:三重県立宇治山田高等学校)、旧制 第一高等学校を経て、1922年大正11年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業[3]。卒業直前の1921年(大正10年)10月、高等試験行政科試験に合格し、卒業後1922年5月に、内務省に入り大阪府警察部警部となる[3]。その後内務省官僚として鳥取県警察部長、警視庁刑事部長、静岡県警察部長、内務省書記官警保局警務課長、京都府総務部長、警保局保安課長などを歴任[3]。その後勅任官知事として、1939年(昭和14年)9月5日 - 1940年(昭和15年)12月23日福島県知事1940年(昭和15年) - 1942年(昭和17年)第2次3次近衛内閣の警保局長を務める[3]1942年(昭和17年)6月10日岡山県知事に就任[4]1944年8月1日、知事を依願免本官となり退官した[5]

第二次大戦敗戦後の1946年(昭和21年)9月、GHQにより公職追放となったが、1952年(昭和27年)2月に解除された[3]。その後、衆議院議員選挙旧三重2区から立候補する。1952年(昭和27年)10月1日の第25回衆議院総選挙では無所属で出馬したが次点で落選[6]。次の1953年(昭和28年)4月19日の第26回衆議院総選挙改進党の公認候補として出馬し当選[6]衆議院議員を1期務め、中央常任委員として活動。1954年7月に改進党を離党し、小山倉之助山下春江らと新党同志クラブを結成[7]、11月末に中野四郎町村金五らが加わり新党同志会を結成した[8]1955年2月の第27回総選挙において無所属から出馬したが落選した[6]正五位 勲四等を授章。

1955年(昭和30年)7月2日、56歳で逝去。

埋葬場所は多磨霊園である。

栄典

脚注

  1. ^ a b 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』482頁
  2. ^ 『日本政治史に残る三重県選出国会議員』208頁。
  3. ^ a b c d e f 『日本近現代人物履歴事典』401頁。
  4. ^ コンサイス日本人名事典
  5. ^ 『官報』第5265号、昭和19年8月2日。
  6. ^ a b c 『朝日選挙大観』517頁。
  7. ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』638頁。
  8. ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』641頁。
  9. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

関連項目

参考文献

  • 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。

外部リンク

官職
先代
横溝光暉
岡山県知事
官選第28代:1942年 - 1944年
次代
小泉梧郎
先代
藤原孝夫
内務省警保局長
1940年 - 1941年
次代
今松治郎
先代
君島清吉
福島県知事
官選第37代:1939年 - 1940年
次代
江辺清夫




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