田中貴道とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 田中貴道の意味・解説 

田中貴道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/07 00:11 UTC 版)

田中貴道

田中 貴道(たなか たかみち、1848年12月13日嘉永元年11月18日) - 1924年大正13年)4月24日)は、日本警察官僚。官選県知事

経歴

豊前国企救郡金田町(現・福岡県北九州市)に小倉藩士・田中貴昇(たかのぶ)の長男として生まれる。1874年3月、明治政府に出仕し小倉県十五等出仕となる。史生、五等警部、十三等出仕などを歴任。

1876年7月、豊岡県十四等出仕に転じ、同年9月、京都府六等警部となる。1881年5月、下京警察署長に就任。1883年3月、会津小鉄を検挙した。以後、京都府典獄(現在の刑務所長)、内務属、内務省警保局警務課長、奈良県警部長栃木県警部長福島県警部長などを歴任。1894年9月、京都府警部長となる。1895年には、第4回内国勧業博覧会、平安遷都千百年紀年祭が開催され、さらに同年4月から5月まで京都に大本営が移されるなど、警備上の重責を担った。

1896年12月、滋賀県書記官に就任。1897年4月、石川県書記官に転じ、1898年9月に非職、依願免官となる。1899年4月、静岡県書記官として復帰。同年8月、警視庁に転じ警視警視総監官房主事となる。1900年3月、岐阜県知事に発令され、同年10月、内務省警保局長に登用された。北海道警察費、巡査看守俸給令の改正などに取り組み、社会民主党の結社禁止などに対応した。1901年6月に退任。

1902年2月、山形県知事として復帰。1906年7月、山形県知事を休職。1908年7月27日、休職満期となり退官した[1]。郷里の小倉市に戻り、同地で死去した。

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ 『官報』第7528号、明治41年7月30日。
  2. ^ 『官報』第4636号「叙任及辞令」1898年12月12日。
  3. ^ 『官報』第5098号「叙任及辞令」1900年7月2日。
  4. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  5. ^ 『官報』第7606号・付録「辞令」1908年10月31日。

参考文献

  • 高橋雄豺「田中貴道」『明治警察史研究』第4巻・後編、高橋雄豺、令文社、1972年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田中貴道」の関連用語

田中貴道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田中貴道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田中貴道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS