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小栗盛太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/20 05:05 UTC 版)

小栗盛太郎

小栗 盛太郎(おぐり もりたろう、1871年7月9日明治4年5月22日[1] - 1949年昭和24年)11月12日[2])は、日本の会計検査院検査官[3]福岡県若松市長[3]神奈川県横須賀市長[3]

経歴

岐阜県出身。平民・小栗辨之右衛門の長男[1]1892年(明治25年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業[1]判事検事を務めた後、会計検査院に転じ、検査官・第二部第二課長を務めた[1][3]

後、福岡県若松市長を経て[3]1928年(昭和3年)3月、神奈川県横須賀市長に就任した[4]関東大震災の震災復旧、復興事業による赤字財政を立て直すため、経費の緊縮や海軍助成金の増額認可獲得などに奔走したが、世界恐慌の状況下でうまく事は運ばず、1930年(昭和5年)5月、病により辞任した[4]

家族・親族

小栗家

岐阜県、東京市外大久保町百人町[3]

  • 妻・三千代(東京、小野職彦の妹)[3]
1881年 -
  • 男・重治[1]
1917年 -
  • 養子・(長野、林茂利二郎の二男)[1]
1903年 -

出典

  1. ^ a b c d e f 『人事興信録 第5版』を29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月20日閲覧。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、392頁。
  3. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第9版』オ22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月20日閲覧。
  4. ^ a b 歴代知事編纂会 1983, 1056頁.

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。 
  • 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第1、歴代知事編纂会、1983年。 





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