林信雄_(政治家)とは? わかりやすく解説

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林信雄 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/12 16:17 UTC 版)

林信雄
はやし のぶお
生年月日 1899年5月5日
出生地 日本 福岡県朝倉郡朝倉村
(現・福岡県朝倉市
没年月日 (1974-12-01) 1974年12月1日(75歳没)
出身校 明治大学法科卒業
前職 弁護士

選挙区 (福岡県第4選挙区→)
旧福岡4区
当選回数 2回
在任期間 1942年 - 1945年12月18日
1953年4月19日 - 1955年1月24日

当選回数 2回
在任期間 1955年5月2日 - 1963年2月9日

当選回数 3回
在任期間 1931年 - ?
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林 信雄(はやし のぶお、1899年明治32年)5月5日[1]1974年昭和49年)12月1日[2])は、日本の衆議院議員自由党)。福岡県小倉市長弁護士

経歴

福岡県朝倉郡朝倉村(現在の朝倉市)出身[3]1920年大正9年)、明治大学法科を卒業[3][4]。同年、弁護士試験を当時日本最年少で合格した[4]1931年(昭和6年)、福岡県会議員に当選して、3期務めた[4]

1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し、当選。1946年(昭和21年)、推薦議員のため公職追放を受ける[5]。追放解除後の1953年(昭和28年)、第26回衆議院議員総選挙で再選を果たした。

その後、1955年(昭和30年)、元助役と元代議士を破って小倉市長に当選した[4]北九州市の設置に伴い、小倉市が廃止されるまで務める。

また日本弁護士連合会理事を務めた[2]

脚注

  1. ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、29頁。
  2. ^ a b 衆議院議員名鑑 1990.
  3. ^ a b 衆議院要覧 1942.
  4. ^ a b c d ふるさと人物記』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面。

参考文献

  • 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 
公職
先代
浜田良祐
福岡県旧小倉市長

1955年 - 1963年
次代
廃止



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