平井義一 (政治家)とは? わかりやすく解説

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平井義一 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/24 14:04 UTC 版)

平井義一

平井 義一(ひらい ぎいち、1913年大正2年)3月15日[1] - 2007年平成19年)9月6日[要出典])は、日本の政治家衆議院議員(5期)。

経歴

福岡県築上郡八屋町(現・豊前市)出身[2][注 1]1939年昭和14年)明治大学法学部[1][3]東京地方専売局に勤務した後[3]計理士となり[3]麹町区[3]東京市会議長秘書を歴任する[3]1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙福岡4区から日本自由党公認で立候補して初当選。以来5期務める。炭鉱国管疑獄では、1948年(昭和23年)衆議院不当財産取引調査委員会に証人喚問されている[4]第4次吉田内閣郵政政務次官に就任する[3]1955年(昭和30年)の保守合同により自由民主党衆議院議員となる。1960年(昭和35年)の総選挙で落選。その後も複数回総選挙に出馬したが、いずれも及ばず、国政復帰はならなかった。このほか横綱審議委員日本プロレス協会長などを務めた[3]

1972年(昭和47年)にはシングル「部隊長」(キングレコードに製造を委託した自主製作盤。品番:NCS-387)で歌手デビューもしている(B面は神田たかし「青年の歌」)。

脚注

注釈

  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』533頁では「東京都出身」と記載。

出典

  1. ^ a b 『日本人事録 第6版』全国篇、767頁。
  2. ^ 『衆議院要覧. 昭和22年12月現在 乙』169頁。
  3. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』533頁。
  4. ^ 『戦後政治裁判史録 1』336-337頁。

参考文献

  • 『衆議院要覧. 昭和22年12月現在 乙』衆議院事務局、1948年。
  • 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。
  • 田中二郎、佐藤功、野村二郎編『戦後政治裁判史録 1』第一法規出版、1980年。
  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
議会
先代
塚原俊郎
衆議院運輸委員長
1959年 - 1960年
次代
永田亮一



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