川合清丸とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 学問 > 世界宗教用語 > 川合清丸の意味・解説 

川合清丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 05:40 UTC 版)

川合 清丸(かわい きよまる、嘉永元年11月21日1848年12月16日) - 大正6年(1917年6月24日)は、神道儒学の三道を融合して、「日本の国教」を確立しようとした思想家、宗教家。子徳山陰道士無々道人

経歴

因幡国箆津(現、鳥取県琴浦町)出身。父親が太一垣神社の神職であったので、幼少から神道を学び、太一垣神社の社掌となった。

明治6年(1873年)に大神山神社権宮司となる。大神山神社と大山寺との関係から生じた神仏分離問題に関する庶務で東京に出た時に、神仏への信仰や道徳心の荒廃した風潮を目の当たりにしたという。これをきっかけに、神道のみならず儒教・仏教・キリスト教西洋の学問を広く学ぶ必要を痛感し、遊学した。禅は鳥尾小弥太より学んだ。

その後、勝海舟山岡鉄舟高橋泥舟の知遇を得て、鉄舟の援助のもとに、明治21年(1888年)に鳥尾小弥太、本荘宗武とともに「日本国教大道社」を設立。神儒仏三道による国教確立と反欧化主義を唱えた。大道社の幹事・執筆主任に就任した清丸は、機関誌『大道叢誌』への執筆を通じて多くの支持者を獲得し、大道社は国家主義の一大勢力となった。

清丸の執筆活動は70歳で死去するまで続き、残した膨大な著作は『川合清丸全集』(橋本五雄編、1931-1933年)にまとめられている。

関連項目

脚注出典

  1. ^ ちゆ「ちゆ12歳のひとりエッチ 第72回 はじめてのローマ字」『二次元ドリームマガジン Vol.72』第10巻第6号、キルタイムコミュニケーション、2013年10月1日、241頁。 

参考文献

  • 『日本人名大辞典』 講談社 2001年
  • 『日本国教大道社設立主意』 大道社 1891年
  • 『川合清丸全集』


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「川合清丸」の関連用語

川合清丸のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



川合清丸のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
中経出版中経出版
Copyright (C) 2025 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの川合清丸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS