虎尾の会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 03:26 UTC 版)
安政7年(1860年)に起こった桜田門外の変に強い衝撃を受け、倒幕・尊王攘夷の思想を強める。この事件を契機に、清河塾に憂国の士が集まりだす。その中には幕臣の山岡鉄太郎(鉄舟)・笠井伊蔵・松岡万、薩摩藩の伊牟田尚平・樋渡八兵衛・神田橋直助・益満休之助、同門であった安積五郎らがいる。また池田徳太郎・中村貞太郎・西川練造・村上俊五郎・石坂宗順などとも交わる。 同年、盟主として虎尾の会を結成。発起人は山岡鉄太郎ら15名。横浜外国人居留地を焼き討ちし、尊王攘夷の精神を鼓舞し、倒幕の計画を立てたが、この密計が幕府の知るところとなる。しかも文久元年(1861年)には罵詈雑言を浴びせてきた幕府の手先を斬り捨てたため、幕府に追われる立場となった。このとき、笠井・中村・西川らは捕縛され、後に獄死している。
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