南津電気鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/26 07:08 UTC 版)
南津電気鉄道(なんしんでんきてつどう)は、かつて東京府南多摩郡由木村大字鑓水(現:東京都八王子市鑓水)に本社を置いていた鉄道事業者である。南多摩郡と神奈川県津久井郡を結ぶ鉄道路線の敷設を目的に会社設立したが、未成線となり鉄道敷設は実現しなかった[1]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 清水正之 『八王子の電車とバス - 八王子市制100周年記念 -』揺籃社、2017年8月10日、46-47頁。ISBN 978-4-89708-388-9。
- ^ a b c d e “「幻の電車」、90年前に頓挫 鑓水発 ”南津電気鉄道” | さがみはら緑区” (日本語). タウンニュース (2019年10月3日). 2020年12月6日閲覧。
- ^ “永泉寺 東京都八王子市鑓水80”. 曹洞宗公式寺院検索 曹洞禅ナビ. 2020年12月6日閲覧。
- ^ a b 『幻の相武電車と南津電車―昭和恐慌で工事中断』98頁
- ^ a b No.4「南津電気鉄道敷設願却下ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・六、敷設請願却下・巻八・大正十四年』2頁(国立公文書館デジタルアーカイブで閲覧可)
- ^ a b c d 「鉄道起業廃止許可」『官報』1934年6月8日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 「鉄道免許状下付」『官報』1926年11月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『日本全国諸会社役員録. 第38回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『幻の相武電車と南津電車―昭和恐慌で工事中断』115頁
- ^ a b 清水正之 『八王子の電車とバス - 八王子市制100周年記念 -』揺籃社、2017年8月10日、74頁。ISBN 978-4-89708-388-9。
- ^ a b 『幻の相武電車と南津電車―昭和恐慌で工事中断』135頁
- ^ a b c 『幻の相武電車と南津電車―昭和恐慌で工事中断』150頁
- ^ 『幻の相武電車と南津電車―昭和恐慌で工事中断』153頁
- ^ a b c 「鉄道免許失効」『官報』1933年3月29日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『鉄道統計資料. 昭和8年度 第3編 監督』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『幻の相武電車と南津電車―昭和恐慌で工事中断』166頁
- ^ 会社解散申請理由には「従来建設工事ニ対スル措置ヲ誤リ徒ニ株主間ニ紛争ヲ醸シ刑事告訴ヲ受クル等事業進捗セス到底完成不能ナル為会社解散セントス」(No.18「会社解散決議並起業廃止ノ件」『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・南津電気鉄道・起業廃止・大正十五年~昭和九年』4頁)国立公文書館デジタルアーカイブで閲覧可
- ^ 『幻の相武電車と南津電車―昭和恐慌で工事中断』
- ^ a b c d e f 『幻の相武電車と南津電車―昭和恐慌で工事中断』132頁
- 1 南津電気鉄道とは
- 2 南津電気鉄道の概要
- 3 参考文献
南津電気鉄道
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詳細は「南津電気鉄道」を参照 鑓水に本社を置いていた鉄道事業者により計画された未成線。 没落をまぬがれた鑓水商人の末裔である大塚卯十郎によって計画された。神奈川県津久井郡川尻村(現・相模原市緑区)から多摩一の宮(現・多摩市一ノ宮、聖蹟桜ヶ丘駅付近)まで電気鉄道を敷設し、そこで玉南電鉄(現・京王電鉄京王線)に接続した上で新宿駅まで電車を直通させる計画であった。南多摩郡と津久井郡を結ぶ意味で社名を「南津電気鐵道株式會社」とした。1924年(大正13年)、鑓水の永泉寺で発起集会が行われ、大栗川横の空家を借りて事務所を開いた。1926年(大正15年)には鉄道免許を取得し、工事も第一期区間である鑓水近辺で一部レールの敷設も完了し、架線柱用の丸太まで準備されていたというが、1929年(昭和4年)の世界恐慌の影響で生糸の価格が暴落し、資金繰りが悪化したため工事は中断。計画は頓挫し、1936年(昭和9年)に会社は解散することとなった。
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