南洞邦夫とは? わかりやすく解説

南洞邦夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/11 05:38 UTC 版)

南洞邦夫, c. 1936

南洞 邦夫(なんどう くにお、1916年12月4日 - 2011年8月12日[1])は、日本のスピードスケート選手。

略歴

中華民国東北部(満州)の奉天出身。早稲田大学商学部卒業。

早稲田高等学院1年在学時の1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックで500m22位、5000m31位となった。

1956年コルチナ・ダンペッツオおよび1960年スコーバレーオリンピックの日本選手団スケートチーム監督、1994年リレハンメルオリンピックの日本選手団団長、日本スケート連盟理事長、日本カーリング協会会長などを歴任した。

2000年にオリンピック・オーダー受章[2]

2011年8月12日、肺炎のため東京都品川区の病院で死去。94歳没[1]

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