伊藤六郎兵衛とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 宗教 > 布教 > 宗教家 > 伊藤六郎兵衛の意味・解説 

伊藤六郎兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 00:56 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

伊藤 六郎兵衛(いとう ろくろべえ、文政12年7月15日1829年8月14日) - 明治27年(1894年3月30日 )は、幕末・明治時代の宗教家で、丸山教の開祖である。

武蔵国橘樹郡登戸村(現 神奈川県川崎市)生まれで、幼名は清宮米吉(きよみや よねきち)。24歳のときに伊藤家の長女サノと結婚して婿養子となり伊藤六郎に改名、家督相続の際に家名の六郎兵衛を襲名した。

明治3年以降、富士の神の声を聞くようになり、断食行などの修業や病気治しなどを行って「生き神」として信仰を集めるようになった。しかし、教導職の資格を持っていなかったために国から弾圧を受け、明治8年、富士講の一つである富士一山講(後の扶桑教)に所属した。後に教導職の資格を得、明治18年、扶桑教から離脱し、神道本局に所属する神道丸山教会本院(後の丸山教)となった。

関連項目





伊藤六郎兵衛と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「伊藤六郎兵衛」の関連用語

1
丸山教 デジタル大辞泉
58% |||||


3
4% |||||


伊藤六郎兵衛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



伊藤六郎兵衛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの伊藤六郎兵衛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS