飯田久彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/27 03:28 UTC 版)
飯田 久彦 | |
---|---|
生誕 | 1941年8月23日(83歳) |
出身地 | ![]() |
学歴 | 日本大学高等学校卒業 |
職業 | |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1961年 - |
飯田 久彦(いいだ ひさひこ、1941年8月23日 - )は、日本の音楽プロデューサー・歌手。東京都出身。日本大学高等学校卒業。芝浦工業大学工学部電子工学科中退。歌手時代の愛称はチャコ。デビュー当時は第一プロダクション所属。ビクター音楽産業在籍時代に、『スター誕生!』に出場したピンク・レディーを発掘した。
人物
- 1961年 - 『悲しき街角』で日本コロムビアより歌手デビュー。
- 1962年 - 『ルイジアナ・ママ』が大ヒットとなるが、その後人気が低迷。
- 1972年 - 前年に歌手として所属していたビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント)にアルバイトとして入社[1]。
- 1975年 - 同社正社員となり、ディレクターとして松崎しげる、岩崎宏美、ピンク・レディー、小泉今日子らを担当。
- 1988年 - ゲームミュージックのアルバム『ナムコット・ゲーム・ア・ラ・モードVol.2』の収録曲「恋のダーク・ホース」(ゲーム『ファミリージョッキー』のアレンジ曲)にて、久々に歌唱。
- 1990年代、音楽プロデューサーとして主に活動。
- 1999年3月 - ビクターエンタテインメント専務取締役に就任
- 1999年6月 - テイチクエンタテインメント代表取締役社長に就任
- 2005年6月 - テイチクエンタテインメント代表取締役会長に就任
- 2006年11月 - エイベックス・エンタテインメント取締役に就任
- 2012年4月 - 『NHK歌謡コンサート』に出演し、『ルイジアナ・ママ』を披露する。
ディスコグラフィ
シングル
# | 発売日 | 曲順 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | レーベル | 規格品番 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1961年 7月 |
A面 | 悲しき街角 | 漣健児 | M.Crook D.Shannon |
柳田六合雄 | 日本 コロムビア |
SA-686 |
B面 | ポケット・トランジスター | L.Kolber | ||||||
2 | 1961年 9月 |
A面 | 小さい悪魔 | N.Sedaka | SA-716 | |||
B面 | なみだのダンス | みナみカズみ | P.Anka | |||||
3 | 1961年 11月 |
B面 [注釈 1] |
サンタ・クロースが やって来る |
服部レイモンド | G.Autry O.Haldeman |
SA-766 | ||
4 | A面 | 悲しき片思い | 漣健児 | J.Schroeder | SA-768 | |||
B面 | 子供じゃないのさ | |||||||
5 | 1961年 12月 |
A面 | ルイジアナ・ママ | G.Pitney | SA-772 | |||
B面 | 電話でキッス | P.Anka | ||||||
6 | 1962年 3月 |
A面 | 花咲く街角 | D.Shannon | SA-831 | |||
B面 | ウエディング・ベル | 水島哲 | P.Anka | |||||
7 | 1962年 4月 |
A面 | トランジスター・シスター | 漣健児 | F.Slay C.Dougherty |
SA-852 | ||
B面 | 涙のさようなら | C.Moman | ||||||
8 | 1962年 5月 |
A面 | コーヒー・デイト | L.Whitcup | SA-873 | |||
B面 | 一度だけのあやまち | J.Schroeder R.Dutch |
||||||
9 | 1962年 7月 |
A面 | シェーナ・シェーナ | J.Brandon J.Sauter |
SA-924 | |||
B面 | クライ・クライ・クライ | J.Scott | ||||||
10 | 1962年 10月 |
A面 | あの子に
|
浜口庫之助 | SA-974 | |||
B面 | 女の子 | |||||||
11 | A面 | 悲しみをこわして | 宮田隆 | 浜口庫之助 | SA-984 | |||
B面 | 恋人もお金もない夜 | 浜口庫之助 | ||||||
12 | 1962年 12月 |
A面 | ポーカー・フェイス | SA-1024 | ||||
B面 | ぼんやりボン | |||||||
13 | 1963年 3月 |
B面 [注釈 2] |
あの娘が虹に乗って来た | 篠宮ちさと | 小杉仁三 | SA-1067 | ||
14 | 1963年 4月 |
A面 | なみだの水溜り | 三浦康照 | SA-1085 | |||
B面 | みんなみんな淋しいよ | 福田正 | 小杉仁三 | |||||
15 | A面 | 口紅のシール | みナみカズみ | W.Walker I.Stanton |
柳田六合雄 | SAS-21 | ||
B面 | 恋人は海の彼方に | 漣健児 | 不詳 | |||||
16 | 1963年 6月 |
A面 | 二人でゆこうよ | 三浦康照 | E.Darling W.Svanoe |
小杉仁三 | SAS-63 | |
B面 | いとしのリンダ | D.Lee A.Reynolds |
||||||
17 | 1963年 8月 |
A面 [注釈 3] |
幸せをつかもう | 小杉仁三 | SAS-92 | |||
18 | 1963年 11月 |
A面 | レット・ミー・ビー | B.D.Vorzon B.Chandler |
小杉仁三 | SAS-168 | ||
B面 | グリーン・グリーン | B.McGuire R.Sparks |
||||||
19 | 1963年 12月 |
A面 | ブルー・ベルベット | 奥山靉 | B.Wayne L.Morris |
SAS-185 | ||
B面 | 恋のハッスル | 漣健児 | M.Barkan B.Raleigh |
|||||
20 | 1964年 3月 |
A面 | 茜空 | 三浦康照 | 小杉仁三 | SAS-211 | ||
B面 | 悲しきオルゴール | 室山多香史 | 朽木秀暢 | 小杉仁三 | ||||
21 | 1964年 4月 |
B面 [注釈 4] |
しずかな夜の物語 | 杉本夜詩美 | 狛林正一 | SAS-229 | ||
22 | 1964年 7月 |
A面 | 恋風さんとかくれんぼ | 三浦康照 | 市川昭介 | 山屋清 | SAS-280 | |
B面 | にわか雨 | |||||||
23 | 1965年 3月 |
A面 | 星が夜空の涙なら | 和田香苗 | SAS-449 | |||
B面 | ミーコを想う | 石本美由起 | 山路進一 | |||||
24 | 1966年 1月 |
A面 | 悲しきエレキ小僧 | 高垣葵 | 米山正夫 | 重松岩雄 | 日本 クラウン |
CW-399 |
B面 | モンキー大学 | 米山正夫 | ||||||
25 | 1967年 7月 |
A面 | 明日はきっと | 星野哲郎 | 小杉仁三 | CW-672 | ||
B面 | 君の名前 | 原とし子 | 井上忠也 | |||||
26 | 1971年 | A面 | 愛する
|
浜圭介 | 小谷充 | ビクター | SV-1110 | |
B面 | 夢よ何処に | 六ツ見茂明 | ||||||
27 | 1972年 | A面 | 私の坊や | 河村シゲル | 土持城夫 | SV-1119 | ||
B面 | 扉の外 | 千家和也 |
企画シングル
発売日 | 名義 | 曲順 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | レーベル | 規格品番 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1963年 2月 |
北原謙二 飯田久彦 高木たかし |
A面 [注釈 5] |
若さでドン | 関沢新一 | 浜口庫之助 | 小杉仁三 | 日本 コロムビア |
SA-1081 |
アルバム
発売日 | タイトル | レーベル | 規格 | 規格品番 |
---|---|---|---|---|
1961年12月 | 飯田久彦ヒット・ナンバーをうたう | 日本コロムビア | LP | AL-330 |
1962年7月 | 飯田久彦ヒット・ナンバーをうたう(第2集) | AL-377 | ||
1963年3月 | 悲しみをこわして-飯田久彦愛唱集- | AL-427 | ||
1990年11月21日 | 青春歌謡メモリアル 飯田久彦〜ルイジアナ・ママ | CD | COCA-6912 | |
1993年9月21日 | ルイジアナ・ママ | COCA-11027 | ||
2011年12月21日 | 飯田久彦 ゴールデン☆ベスト | COCP-37124〜25 |
タイアップ曲
年 | 楽曲 | タイアップ |
---|---|---|
1962年 | 悲しみをこわして | 映画『悲しみをこわして』主題歌 |
逸話
サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」の“チャコ”とは、彼のニックネームを桑田佳祐が歌詞にしたもの[2]。幼少時、ヒサヒコが呼びにくいためヒチャヒコとなり、縮めて“チャコ”が愛称になった。歌手引退後のビクター音楽産業ディレクター時代も"チャコ"と呼ばれ、その頃桑田と知り合っている。
音楽プロデューサー・主な担当
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 曲目 |
---|---|
1962年(昭和37年)/第13回 | ルイジアナ・ママ\ |
論文
脚注
出典
注釈
外部リンク
飯田久彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:11 UTC 版)
拓郎と同じく歌手出身のレコード会社社長経験者という共通点もあり、懇意にしている。
※この「飯田久彦」の解説は、「吉田拓郎」の解説の一部です。
「飯田久彦」を含む「吉田拓郎」の記事については、「吉田拓郎」の概要を参照ください。
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