日本ビクター傘下時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:19 UTC 版)
「テイチクエンタテインメント」の記事における「日本ビクター傘下時代」の解説
1999年5月には松下電器の意向でビクターエンタテインメント(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)役員の飯田久彦が歌手経験者初となる社長に就任。1999年10月に松下電器が保有する当社全株式をビクターエンタテインメントに譲渡し、松下グループのコンテンツ事業は当時松下電器子会社であった日本ビクター(現:JVCケンウッド)傘下に集約させた。その際、「テイチク」から「テイチクエンタテインメント」へ社名変更し、後にJ-POP再編で新レーベルのインペリアルレコードを発足する。同時期に大泉逸郎の「孫」がミリオンセラーを達成したことで2000年に業績が回復した。 2008年(平成20年)に親会社が日本ビクター(JVC・ケンウッド・ホールディングス、当時)に異動した。 2010年(平成22年)4月16日 一部報道で「ソフトバンクが5月を目処にJVCケンウッドの子会社である当社とビクターエンタテインメントを過半数の株式を取得し子会社化、年内に残りの株式も取得し完全子会社化することで大筋合意した」と報じられたが、両社共にニュースリリースで否定した。しかし、29日に交渉が打ち切られたと報じられた。
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