江島神社辺津宮周辺とは? わかりやすく解説

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江島神社辺津宮周辺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:27 UTC 版)

江の島」の記事における「江島神社辺津宮周辺」の解説

江の島エスカー - 1959年昭和34年4月江ノ島鎌倉観光によって建設され日本初野外エスカレータ高低差46メートルを4連で結ぶ。全長106メートル1時間に8,000人を運ぶ能力有した有料上りのみで下りはない。1-2連、3連、4連の3系統分かれ所要時間全て乗った場合で約4分。通し切符乗れるが、それぞれ別に切符を買うこともできる江の島サムエル・コッキング苑江の島展望灯台入場券との割引セット券もある。1-2連 - 朱塗り大鳥居から乗り継いで辺津宮到る。 3連 - 辺津宮中津宮を結ぶ。 4連 - 中津宮江の島サムエル・コッキング苑を結ぶ。 2001年1-2連、2003年3-4連がリニューアルされた。 石 - 建2年1202年修行中の慈悲上人の邪魔をしたガマガエル法力で石にしたと伝えられる最勝銘碑 - 1884年明治17年東京大学インド哲学教えた曹洞宗の僧の原担山の撰。 無熱池 - 龍女が棲んでいたと伝えられる。 鋏塚 - 大日本花道協会1964年昭和39年6月協会創立35周年記念して花鋏供養のために建てた題字飯田九一揮毫で花の字を鋏型にデザインしたもの。1989年平成元年11月整備され説明のための別碑が建てられた。 児玉神社 - 日露戦争活躍した明治時代軍人児玉源太郎祀る神社1918年大正7年創建境内には日露戦争関わるいくつかのモニュメント見られる児玉源太郎1898年2月26日 - 1906年4月11日台湾総督務めていたため、台湾との関係も深い。 江島神社辺津宮 - 建永元年1206年)に良真上人請願により、源実朝田寸津比売命たぎつひめのみこと)を勧進して建てたもので、当初は「下之宮」と呼ばれていた。嗽盥 - 江戸麻布坂下町藤屋半七寛延2年1749年)に奉納したもの。正面中央三つ巴紋が陽刻される。 本殿 - 拝殿幣殿から成る天文18年1549年)と延宝3年1675年)および元禄3年1690年)に再興改修記録があり、現在の社殿1976年昭和51年)に新築されたもの。 かつては護摩堂三重の塔も建てられていた。 奉安殿弁天堂) - 旧神楽殿跡に1970年昭和45年建てられ法隆寺夢殿模した八角の堂。江島神社宝物収蔵展示弁才天拝殿兼ねる。有料堂内撮影禁止。八臂弁財天 - 鎌倉時代初期の作。源頼朝鎌倉幕府を開くとき、奥州藤原秀衡調伏祈願のため、文覚上人命じて造らせたと伝えられる。「木造弁才天坐像」として国の重要文化財彫刻)に指定されている。 妙音弁財天 - 「裸弁天」ともいわれ、琵琶抱え女性象徴備えた全裸体の半跏像。 江島縁起絵巻 - 5巻金界天地金箔砂子紙本延寶年間狩野派絵師の筆。 江島縁起 - 界紙本、永承2年1047年7月26日延暦寺伝燈大法師位皇慶の作。享禄4年1531年7月28日肥後住人清鏡乗海筆 藤沢市指定文化財書跡)。 得瑞島上宮縁起 - 墨界紙本浮彫弁才天及び脇侍眷属一具 - 通称護摩之灰弁才天天長7年830年7月7日弘法大師岩屋参籠し、護摩修法の灰を以て作った伝えられる。裏に大師の手形がある。 制札 - 大鷹紙。天正18年1590年卯月豊臣秀吉が、江島寺にて軍勢等乱暴狽籍を禁制したもの文覚上人扁額 - 石彫長方形金亀山とある。寿永元年1182年))文覚上人の筆。 役行者像 - 製、像高42cm。役小角自作伝えられる江島大草子 - 2巻江島大明神勅額 - 製、長方形建治元年1275年1275年9月23日9月23日後宇多天皇勅額であると伝えられる八方睨亀扁額 - 享和3年1803年)、酒井抱一筆。藤沢市指定文化財絵画)。奥津拝殿天井画画面劣化したためここに収蔵された。奥津宮の天井には1994年製の複製画掲げられている。 大太刀 - 銘:肥前国佐賀河内大掾藤原正広。1口 県指定文化財工芸品)。 八坂神社 江島神社末社江戸時代天王社として祀られ弘化元年1844年)に再建1873年明治6年)に「八坂神社」と改称した祭神建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)。社殿葺、入母屋造り2001年改築例祭は「江の島天王祭」と呼ばれ毎年7月14日に近い日曜日海上渡御が行われる。御神体は命(みこと)の木像。昔、対岸腰越小動神社こゆるぎじんじゃ)の御神体が海に流されたとき、江の島漁師江島岩屋近くの海で拾い上げ、それを東浦持っていき、真水清めて八坂神社祀ったのが始まりといわれる江の島にある八坂神社対岸腰越小動神社神輿が海に入り海上渡御行なう天王囃子里神楽)を奏でながら神輿辺津宮より参道練り弁天橋から海に舁ぎ入れる。祭礼華麗極め1982年かながわのまつり50選」に制定された。 稲荷社秋葉社合殿 - 祭神は豊受気毘賣命と火之迦具土神秋葉稲荷与三稲荷・漁護稲荷など、江の島随所にあった小祀合祀したもの。 銭洗白龍辺津宮の脇にある湧水水源には黄金小判隠されているとの言い伝えから、黄金浄水とも呼ばれている。こので銭を洗うとご利益ありという風習は、近年のもの思われる江島霊迹建寺の碑 - 江島縁起によれば元久元年1204年)に宋に渡った源実朝使節鶴岡八幡宮良真が、慶仁禅師より江の島因んで授けられたと伝えられ碑面四辺を細線で刻画し上方左右から双龍形を陽刻し、大日本国江島霊迹建寺之記と篆刻されているというが、碑名は摩滅して判読不能元禄14年1701年)に杉山検校門弟島岡検校雨よけ寄進したといわれる沼田頼輔歌碑 - 1961年昭和36年建立沼田頼輔1867年 - 1934年)は、『日本紋章学』を著し日本学士院賞受賞した愛甲郡宮ヶ瀬生まれ紋章学者。 会記念碑 - 東京楽器菊屋グループ1909年明治42年建立浜千鳥模様の袋に包まれ琵琶描かれている。 震四世句碑 - 1923年大正12年建立。震九江晩年片瀬住んだ俳人

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