江島神社辺津宮周辺
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江の島エスカー - 1959年(昭和34年)4月に江ノ島鎌倉観光によって建設された日本初の野外エスカレータ。高低差46メートルを4連で結ぶ。全長106メートル。1時間に8,000人を運ぶ能力を有した。有料。上りのみで下りはない。1-2連、3連、4連の3系統に分かれ所要時間は全てを乗った場合で約4分。通し切符で乗れるが、それぞれ別に切符を買うこともできる。江の島サムエル・コッキング苑、江の島展望灯台の入場券との割引セット券もある。1-2連 - 朱塗りの大鳥居から乗り継いで辺津宮に到る。 3連 - 辺津宮と中津宮を結ぶ。 4連 - 中津宮と江の島サムエル・コッキング苑を結ぶ。 2001年に1-2連、2003年に3-4連がリニューアルされた。 蟇石 - 建仁2年(1202年)修行中の慈悲上人の邪魔をしたガマガエルを法力で石にしたと伝えられる。 最勝銘碑 - 1884年(明治17年)東京大学でインド哲学を教えた曹洞宗の僧の原担山の撰。 無熱池 - 龍女が棲んでいたと伝えられる。 鋏塚 - 大日本花道協会が1964年(昭和39年)6月に協会創立35周年を記念して花鋏の供養のために建てた。題字は飯田九一の揮毫で花の字を鋏型にデザインしたもの。1989年(平成元年)11月整備され、説明のための別碑が建てられた。 児玉神社 - 日露戦争で活躍した明治時代の軍人・児玉源太郎を祀る神社。1918年(大正7年)創建。境内には日露戦争に関わるいくつかのモニュメントが見られる。児玉源太郎は1898年2月26日 - 1906年4月11日台湾総督を務めていたため、台湾との関係も深い。 江島神社辺津宮 - 建永元年(1206年)に良真上人の請願により、源実朝 が田寸津比売命(たぎつひめのみこと)を勧進して建てたもので、当初は「下之宮」と呼ばれていた。嗽水盥 - 江戸麻布坂下町の藤屋半七が寛延2年(1749年)に奉納したもの。正面中央に三つ巴紋が陽刻される。 本殿 - 拝殿と幣殿から成る。天文18年(1549年)と延宝3年(1675年)および元禄3年(1690年)に再興・改修の記録があり、現在の社殿は1976年(昭和51年)に新築されたもの。 かつては護摩堂、三重の塔も建てられていた。 奉安殿(弁天堂) - 旧神楽殿跡に1970年(昭和45年)建てられた法隆寺夢殿を模した八角の堂。江島神社の宝物を収蔵、展示。弁才天の拝殿も兼ねる。有料。堂内撮影禁止。八臂弁財天 - 鎌倉時代初期の作。源頼朝が鎌倉に幕府を開くとき、奥州の藤原秀衡調伏祈願のため、文覚上人に命じて造らせたと伝えられる。「木造弁才天坐像」として国の重要文化財(彫刻)に指定されている。 妙音弁財天 - 「裸弁天」ともいわれ、琵琶を抱え、女性の象徴を備えた全裸体の半跏像。 江島縁起絵巻 - 5巻。金界天地金箔切砂子紙本。延寶年間、狩野派絵師の筆。 江島縁起 - 朱界紙本、永承2年(1047年)7月26日延暦寺伝燈大法師位皇慶の作。享禄4年(1531年)7月28日、肥後住人清鏡乗海筆 藤沢市指定文化財(書跡)。 得瑞島上宮縁起 - 墨界紙本。 浮彫弁才天及び脇侍眷属一具 - 通称護摩之灰弁才天。天長7年(830年)7月7日弘法大師が岩屋に参籠し、護摩修法の灰を以て作ったと伝えられる。裏に大師の手形がある。 制札 - 大鷹紙。天正18年(1590年)卯月、豊臣秀吉が、江島寺にて軍勢等乱暴狽籍を禁制したもの。 文覚上人扁額 - 石彫。長方形で金亀山とある。寿永元年(1182年))文覚上人の筆。 役行者像 - 楠製、像高42cm。役小角自作と伝えられる。 江島大草子 - 2巻。 江島大明神勅額 - 檜製、長方形。建治元年1275年(1275年)9月23日9月23日、後宇多天皇の勅額であると伝えられる。 八方睨亀扁額 - 享和3年(1803年)、酒井抱一筆。藤沢市指定文化財(絵画)。奥津宮拝殿の天井画。画面が劣化したためここに収蔵された。奥津宮の天井には1994年製の複製画が掲げられている。 大太刀 - 銘:肥前国佐賀住河内大掾藤原正広。1口 県指定文化財(工芸品)。 八坂神社 江島神社の末社。江戸時代は天王社として祀られ、弘化元年(1844年)に再建。1873年(明治6年)に「八坂神社」と改称した。祭神:建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)。社殿:銅葺、入母屋造り。2001年に改築。 例祭は「江の島天王祭」と呼ばれ、毎年7月14日に近い日曜日に海上渡御が行われる。御神体は命(みこと)の木像。昔、対岸の腰越・小動神社(こゆるぎじんじゃ)の御神体が海に流されたとき、江の島の漁師が江島岩屋近くの海で拾い上げ、それを東浦に持っていき、真水で清めて八坂神社に祀ったのが始まりといわれる。江の島にある八坂神社、対岸の腰越・小動神社の神輿が海に入り、海上渡御を行なう。天王囃子(里神楽)を奏でながら神輿は辺津宮より参道を練り、弁天橋から海に舁ぎ入れる。祭礼は華麗を極め、1982年「かながわのまつり50選」に制定された。 稲荷社秋葉社合殿 - 祭神は豊受気毘賣命と火之迦具土神。秋葉稲荷・与三郎稲荷・漁護稲荷など、江の島随所にあった小祀を合祀したもの。 銭洗白龍王 辺津宮の脇にある湧水。水源には黄金の小判が隠されているとの言い伝えから、黄金浄水とも呼ばれている。この水で銭を洗うとご利益ありという風習は、近年のものと思われる。 江島霊迹建寺の碑 - 江島縁起によれば、元久元年(1204年)に宋に渡った源実朝の使節鶴岡八幡宮の良真が、慶仁禅師より江の島に因んで授けられたと伝えられ、碑面の四辺を細線で刻画し、上方に左右から双龍形を陽刻し、大日本国江島霊迹建寺之記と篆刻されているというが、碑名は摩滅して判読不能。元禄14年(1701年)に杉山検校の門弟、島岡検校が雨よけを寄進したといわれる。 沼田頼輔の歌碑 - 1961年(昭和36年)建立。沼田頼輔(1867年 - 1934年)は、『日本紋章学』を著し日本学士院賞を受賞した愛甲郡宮ヶ瀬生まれの紋章学者。 菊和会記念碑 - 東京の楽器商菊屋のグループが1909年(明治42年)建立。浜千鳥模様の袋に包まれた琵琶が描かれている。 震柳居四世句碑 - 1923年(大正12年)建立。震柳居九江は晩年を片瀬に住んだ俳人。
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