江島神社中津宮周辺
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花の広場 - 江島神社の宿坊が明治時代に「金亀楼」という旅館になったところ(石塔が残る)。この旅館には1902年(明治35年)に江ノ電の初乗りを狙って来訪した大学3年の寺田寅彦が宿泊した記録がある。1993年(平成5年)に全逓信労働組合の手で再建されたものの、わずか1年で閉鎖に追い込まれた。景観上問題視されていた建物も1999年(平成11年)に撤去解体されて、花の広場に生まれ変わった。展望台があり、湘南港、七里ヶ浜方面が望める。「猿田彦大神」の石碑 - 天保3年(1832年)建立。阿部石年筆。阿部石年は幕末期の藤沢宿に住んだ儒学者、書家で、墓所は鵠沼万福寺に現存。 不老門再建記念碑 - 昔、中津宮の社前に竜宮城の門と同様な楼門があり、そこには「妙音弁財天像」(鎌倉時代後期から室町時代前期の作)が安置されていたと伝えられる。楼門は、長い年月の間に天災や風雨を受け、破壊された姿をさらしていたが、文久元年(1861年)相州津久井郡勝瀬村の富豪・岡部政右衛門が私費を投じて独力で再建を果たした。この碑はその時のもの。摩滅が著しく判読は困難。門はそれから間もなく、1873年(明治6年)に三重塔などと一緒に撤去された。 江島神社中津宮 - 仁寿3年(853年)に円仁(慈覚大師)が龍窟(現・岩屋)に籠もり、弁才天よりお告げを受け、建てたもので、当初は「上之宮」と呼ばれていた。祭神は市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)。天文18年(1549年)に北条氏綱の寄進により修復が加えられ、元禄2年(1689年)に再建された。1980年(昭和55年)屋根の葺替がなされたが、社殿の土台や彫刻の破損が甚しかったため1996年(平成8年)改修が進められ、基礎補修、彫刻の復元や幣殿拝殿の格天井に花鳥画を施して一層典雅な趣をもって極彩色の社殿が甦った。古帳庵夫妻の句碑 - 江戸小網町の古紙回収業古帳庵の鈴木金兵衛夫妻が日本全国の霊場に巡礼したことを記念に天保12年(1841年)建立。 間宮霞軒句碑 - 間宮霞軒は本名雄太郎、岩本院の出身で永野泉山の門下。『江之嶋記』の著者。初代江ノ島郵便局長。1958年(昭和33年)建立。 狛犬 - 宝暦13年(1763年)、「江戸尾立」。石工は麹町平三郎。 石灯籠 - 安永6年(1777年)市村座、1782年(天明2年)中村座の寄進。附近にはそれから200年を記念して1985年(昭和60年)9月23日に尾上菊五郎が手植えしたしだれ桜が見られる。 江の島歌舞伎記念碑 - 1999年、五代目尾上菊之助、七代目尾上菊五郎の手形と扇面をあしらったもの。附近には1999年(平成11年)9月に開催された「江の島歌舞伎」の際、尾上菊之助が手植えしたしだれ梅が見られる。 江島弁財天女上宮之碑 - 文化元年(1804年)、姫路城主酒井雅楽頭源忠道が建てたもの。
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