江島神社中津宮周辺とは? わかりやすく解説

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江島神社中津宮周辺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:27 UTC 版)

江の島」の記事における「江島神社中津宮周辺」の解説

花の広場 - 江島神社宿坊明治時代に「金亀」という旅館になったところ(石塔が残る)。この旅館には1902年明治35年)に江ノ電初乗り狙って来訪した大学3年寺田寅彦宿泊した記録がある。1993年平成5年)に全逓信労働組合の手再建されたものの、わずか1年閉鎖追い込まれた。景観問題視されていた建物1999年平成11年)に撤去解体されて、花の広場生まれ変わった展望台があり、湘南港七里ヶ浜方面望める。「猿田彦大神」の石碑 - 天保3年1832年建立阿部石年筆。阿部石年は幕末期藤沢宿住んだ儒学者書家で、墓所鵠沼万福寺現存不老門再建記念碑 - 昔、中津宮の社前竜宮城の門と同様な楼門があり、そこには「妙音弁財天像」(鎌倉時代後期から室町時代前期の作)が安置されていたと伝えられる楼門は、長い年月の間に天災風雨を受け、破壊された姿をさらしていたが、文久元年1861年相州津久井郡勝瀬富豪岡部右衛門私費投じて独力で再建果たした。この碑はその時のもの。摩滅著しく判読は困難。門はそれから間もなく1873年明治6年)に三重塔などと一緒に撤去された。 江島神社中津宮 - 仁寿3年853年)に円仁慈覚大師)が龍窟(現・岩屋)に籠もり弁才天よりお告げを受け、建てたもので、当初は「上之宮」と呼ばれていた。祭神市寸島比賣命いちきしまひめのみこと)。天文18年1549年)に北条氏綱寄進により修復加えられ元禄2年1689年)に再建された。1980年昭和55年屋根葺替なされたが、社殿土台彫刻破損甚しかったため1996年平成8年改修進められ基礎補修彫刻復元幣殿拝殿格天井花鳥画施して一層典雅なをもって極彩色社殿が甦った。古帳夫妻句碑 - 江戸小網町古紙回収古帳庵の鈴木金兵衛夫妻日本全国霊場巡礼したことを記念に天保12年1841年建立間宮句碑 - 間宮軒は本名雄太郎、岩本院出身永野泉山門下。『江之嶋記』の著者初代江ノ島郵便局長1958年昭和33年建立狛犬 - 宝暦13年1763年)、「江戸尾立」。石工麹町平三郎石灯籠 - 安永6年1777年市村座1782年天明2年中村座寄進附近にはそれから200年記念して1985年昭和60年9月23日尾上菊五郎手植えしたしだれ桜見られる江の島歌舞伎記念碑 - 1999年五代目尾上菊之助七代目尾上菊五郎の手形と扇面あしらったもの。附近には1999年平成11年9月開催された「江の島歌舞伎」の際、尾上菊之助手植えしたしだれ梅見られる江島弁財天上宮碑 - 文元年1804年)、姫路城酒井雅楽頭源忠道が建てたもの。

※この「江島神社中津宮周辺」の解説は、「江の島」の解説の一部です。
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