台湾(中華民国)との関係
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「自由民主党青年局」の記事における「台湾(中華民国)との関係」の解説
重要な性格として、自民党における唯一の対中華民国(台湾)窓口機関であることが挙げられる。これは、1967年に台湾の蔣経国(当時中国青年反共救国団=現・中国青年救国団=主任、後の中華民国総統)が来日した際、海部俊樹青年局長・小渕恵三青年部長との間で、両国間の窓口を自由民主党青年局および中国青年反共救国団とすると合意したことにさかのぼる。 以降、毎年日本・台湾間の相互訪問を実施しており、1972年の台湾との国交断絶後も続いている。野党時代の2011年10月には麻生太郎(第92代首相兼第23代総裁)ら青年局長経験者が訪台し「中華民国建国100周年」の祝賀式典に出席した。
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台湾との関係
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1935年、日本政府は台湾にて「始政四十周年紀念台湾博覧会」を開催した。陳儀は政府より台湾出張を命じられこれを視察、日本統治の下での台湾の急速な発展と、中国大陸の長期にわたる戦乱に起因する停滞との差異を目の当たりにしたこの出張は陳儀のその後に大きな影響を与える。陳儀はその後台湾に視察団を派遣し、1937年に『台湾考察報告』を出版し、福建経済のモデルとして台湾を上げている。 1943年のカイロ会談で、日本の敗戦後は中華民国が台湾を統治することが決定されたことを受け、1944年4月、中華民国行政院に台湾調査委員会が設置され、陳儀はその主任委員に任命された。調査委員は日本統治下の台湾の経済、政治、民生、軍事などの各内容について詳細な調査を行い『台湾接管計画綱要』を答申、政府認可を獲得した。これにより陳儀は『省組織法』に基づく中国大陸の他の省と異なり、台湾の立法・司法・行政などに亘る権限を自らに集中させることとなった。日本の敗戦後、1945年8月29日、陳儀は台湾省行政長官、後に警備総司令兼任に任命された。大多数の台湾人と同様福建閥の中心人物であったこと、日本留学の経験から適当な人物とみなされたとされる。10月24日、陳儀は上海より台北に移動、翌日、台北公会堂において中華民国政府及び連合国代表として台湾総督兼第10方面軍(台湾軍の後身)司令官であった安藤利吉との間で降伏文書調印が行われた。 台湾の行政を担当した陳儀は統制経済政策を実施し、日本企業の大部分を国営とした他、米・塩・砂糖・燃料等の民生品を公定価格で政府が一括購入する制度を確立し、また日本統治時代に始まったタバコ・酒・マッチ等の専売制度を強化した。当時の台湾では本省人が大部分を占めていたが、日本統治下の教育の影響で中国語の理解力不足があり、また共通語とされた北京官話が苦手であった。そのため外省人を公務員として登用したが優秀な人材は国共内戦の影響により大陸に集中し、劣悪な人材に限定されてしまったためその能力や品行に少なからず問題があり、住民との衝突がたびたび発生していた。同時に経済上では極度のインフレが発生し、生活が困窮した住民の間で不満が募っていった。 こうした状況下の1947年2月28日、二二八事件が発生する。闇タバコ摘発を契機とした政府と住民の衝突は台湾全島に広がり大規模な抗争が各地で引き起こされた。3月8日、蔣介石は大陸より叛乱鎮圧のために大軍を投入、一説には18000~28000名の台湾市民が逮捕後殺害されたとも言われている。 3月22日、事件の責任を取って陳儀は国民党三中全会により職務を解任された。5月11日に陳儀は大陸に渡り国民政府顧問に就任している。
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台湾との関係
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「中国オリンピック委員会」の記事における「台湾との関係」の解説
1979年、ウルグアイで行われたIOC理事会で、大陸側NOCのIOC復帰を提案、同年10月名古屋で行われたIOC理事会において「名古屋決議」が採択された。 国旗は五星紅旗、国歌は義勇軍進行曲を使用。名称を中国オリンピック委員会とする。 台湾側NOCの名称はチャイニーズタイペイオリンピック委員会に変更する。旗および歌は中華民国の国旗と中華民国国歌は使用せず、IOCが認めたものを使用する(チャイニーズタイペイオリンピック委員会旗と中華民国国旗歌)。
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台湾との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/27 07:05 UTC 版)
神戸中華同文学校は大陸寄りなので、台湾(中華民国)政府との交流はないが、1972年の日中国交正常化まで、同校では中華民国の国旗である青天白日満地紅旗が掲げられていた。現在は学校行事などの際は中国の五星紅旗が掲げられている。 1959年に同校の新校舎を建設する際、社会主義教育を恐れた当時の台湾政府が中華民国総領事館などを通してさまざまな妨害を行ったため新校舎建設は難航し、当初、同校ではプール施設を設ける予定であったが、中止された。 また、同校の中国地理では台湾を中国の一部として教えているが、生徒の思想は尊重しており、台湾人子弟も同校に数多く在籍している。
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