台湾における「国語」とは? わかりやすく解説

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台湾における「国語」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/09 02:00 UTC 版)

国語 (中国語)」の記事における「台湾における「国語」」の解説

中華民国台湾編入すると、1946年台湾省国語推行委員会設置され台湾国語運動が始まる。中華民国政府台湾移転後も、教育部国語推行委員会維持し国語普及標準整理字典編纂といった事業行った台湾では13年ほどで国語普及見た。この時期台湾における国語運動の主要な目的として、脱日本化挙げられる当初台湾語など国語以外の方言」を土台として国語普及図られたが、次第方言に対して抑圧的な政策実施されるようになった1960年代後期になると、中華文化復興運動受けて台湾省政府は「台灣省加強推行國語實施計劃(台湾省国語推進強化実施計画)」を制定し官公庁学校など公共の場所では一律に国語を使うことを義務付け方言使用禁じた1976年廣播電視法(放送法第20条は「播音語言以國語為主,方言逐年減少放送言語国語を主としなければならず、方言毎年減らさなければならない)」と定めた1985年には「語文法言語法)」草案完成した3人以上人がい公の場標準的な国語使用義務付け方言使用罰則設けるなどの内容世論猛反発した結果立法計画から取り下げられた。この法案国民党政権一元的国語推進政策頂点とも評価される1986年民主進歩党結党1987年戒厳令解除1988年李登輝総統就任など、政治面での台湾本土化・民主化が進むと、文化面でも台湾本土化、多文化主義への転換図られた。一元的国語推進策は再検討迫られその結果学校における方言使用への罰則廃止国語以外の言葉による放送対す制限撤廃母語教育あるいは郷土言語教育導入などが実施された。

※この「台湾における「国語」」の解説は、「国語 (中国語)」の解説の一部です。
「台湾における「国語」」を含む「国語 (中国語)」の記事については、「国語 (中国語)」の概要を参照ください。

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