言語教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/26 14:54 UTC 版)
英: language education)とは、適切な言語能力と言語技術の向上を目的とした教育である[1]。
(げんごきょういく、概要
言語教育全般を取り扱う研究分野を「言語教育学」といい、教育学の一分野として位置づけられる。大まかに「家庭や地域社会で行われる教育」と「学校で行われる教育」の双方を指す[2]。
家庭や地域社会で行われる教育
周囲が幼児に対して、言語による働きかけ[注 1]を行い、乳児は言語能力を習得していく。この働きかけが「自然の教育」になっている(→母語教育)[3]。
学校における言語教育
児童、生徒に正しい言語能力を効率的に習得させるための意図的かつ計画的な営みである。言語習得はすべての教育の基盤として不可欠であり、どこの国においても学校教育の初段階から実施する[2]。言語はコミュニケーションの手段としての役割に加え、思考の手段としても重要な役割を果たし、言語は全ての教科・活動において用いられているからである[4]。
初等教育から行われる、自国語の正しい用い方を教える教育(→国語教育)と、段階が進むにつれて行われる母国語以外の言語の学習(→外国語教育)の双方を指す[5]。
言語活動
「言語活動」とは、「読む・書く・聞く・話す」の言語を用いて行う活動・行動一般、および、それに伴う心理的な働きを指す[6]。
狭義では「言語教育」と「言語活動教育」を分ける考え方もあり、この場合は以下の様に分類される。
① | 言語教育 | 言語の文法・語法・文字・発音・語彙など、客観的な体系や慣習として存在している部分の知識を獲得させる |
---|---|---|
② | 言語活動教育 | 読み書きや言語コミュニケーションなど、言語使用の技能を獲得させる |
広義では①②をまとめて「言語教育」とし、その際に①のみを指す場合に「言語の教育」と言う[7]。
脚注
注釈
出典
- ^ 小学館デジタル大辞泉
- ^ a b ブリタニカ国際大百科事典R4.3.12閲覧
- ^ ブリタニカ国際大百科事典、および株式会社平凡社世界大百科事典 第2版R4.3.12閲覧
- ^ 最新 心理学事典R4.3.12閲覧
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)R4.3.12閲覧
- ^ 精選版 日本国語大辞典R4.3.13閲覧
- ^ 株式会社平凡社世界大百科事典R4.3.13閲覧
関連項目
- ジム・カミンズ(コミュニケーション言語BICSと学習言語CALP)
- 言語力
- 言語政策
- 外国語学部
- にっぽんご
- 教育科学研究会・国語部会
- 外国語教育メディア学会
言語教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 02:25 UTC 版)
19世紀中頃から後期にかけて天然痘が流行し、これによりシュスワップ族の文化は弱体化したが、その時期にはカナダ政府による先住民「文明化」の目論見が進められていた。1876年のインディアン法(英: Indian Act)により先住民問題は法制化され、先住民人口をイギリス系カナダ人社会へ同化しようという植民地的な動機から、イギリス系カナダ人の行政官らはそれまで地方にあった産業学校をアメリカ式の寄宿学校に置き換えようと考えた。寄宿学校を始め、産業学校、昼間学校など様々な形態の学校の取り組みが行われたものの、学校を卒業した先住民たちはイギリス系カナダ人の社会に適応できておらず、政府から見ても成果が思わしくないことは明らかであり (Titley 1986: 81)、学校が先住民地域社会と近接していることが悪影響を及ぼす結果となっていると考えられるようになった。1920年になるとインディアン法に7歳から15歳の先住民にルーツを持つ子どもたちを学校に通わせることを義務とする規定が、また1930年には同法に従わなかった親に罰金刑や懲役刑を課す節が新たに設けられた。こうした過程によりシュスワップ族の言語も文化と共に衰退の一途を辿ることとなる。学校でシュスワプ語を話そうとすると罰せられるため、親たちは子どもを守るためにシュスワプ語は教えず、英語だけで育てるようになった (Haig-Brown 1989: 109–110)。こうして寄宿学校生活を耐え抜いた者たちの孫世代にとって、シュスワプ語とは消滅の瀬戸際にある言語であった。 このような状況の中、1987年になるとシュスワプ語を消滅の危機から救う取り組みが始まった。それは生後まもなくから5歳にかけての子どもを対象とした取り組みで、ニュージーランドのマオリ族による言語の巣(マオリ語: Te Kōhanga Reo(英語版); 英語: language nest)を模範としたものだった。後には初等教育をイマージョン方式で行ったり、4年生から7年生を対象としたバイリンガル教育、成人を対象とした授業、ファースト・ネーション共同体のための教員養成課程も州内外で行われたりするようになった。 1991年の時点でシュスワップ族の成員7,597名のうち、シュスワプ語を話す者は全体の3.9パーセントにあたる308名のみであった。その後、流暢な話者の多くが年輩者でこの世を去る一方、子どもたちが家庭でシュスワプ語を話して育てられることは事実上皆無で、流暢な話者も家ではシュスワプ語を話しておらず、若い世代への伝承は思わしい状況ではなかった。また学校や共同体の言語プログラムは、Chief Atahm School のイマージョン方式の取り組みを除き言語の習熟に成果がなく、言語の喪失に拍車がかかっている。Ignace によると、2007年以前の段階で話者の大半は50歳以上であり、1983年に設立されたSecwepemc文化教育協会(Secwepemc Cultural Education Society (en) )はイマージョン・プログラムの実施を含め、シュスワプ語再興のための努力を払ってきている。しかし、民族の第一言語は英語に取って代わられつつある。
※この「言語教育」の解説は、「シュスワプ語」の解説の一部です。
「言語教育」を含む「シュスワプ語」の記事については、「シュスワプ語」の概要を参照ください。
「言語教育」の例文・使い方・用例・文例
- 言語教育のページへのリンク