台湾博覧会
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ナビゲーションに移動 検索に移動台湾博覧会 (たいわんはくらんかい)とは、1935年(昭和10年)10月10日から11月28日までの会期で実施された台湾総督府後援の博覧会である[1]。1895年(明治28年)の台湾統治以来の「始政40周年記念」行事として開催された。博覧会総裁は台湾総督中川健藏が就任した[2]。
会場
会場は次の場所に設置された[3]。
会場施設
第1会場:産業館、林業館、陶業館、鉱山館、交通土木館、興業館、府県館、朝鮮館、満州館、日本製鉄館、三井館、大陸橋など[4]。
第2会場:国防館、蕃屋、迎賓館、子供の國、音楽堂、演芸館、映画館、専売館、電気館、船舶館、東京館、大阪館、愛知館、京都館、北海道館、奈良館など[5]。
分場:南方館、馬産館、暹羅館、比律賓館、演藝館など[6]。
脚注
参考文献
- 甲府市庶務課 編「台湾博覧会と台湾地方状況視察記」昭和11年。近代デジタルライブラリー書誌ID000000621320。永続的識別子 info:ndljp/pid/1091637
関連項目
台湾博覧会
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1935年の台湾博覧会(始政四十周年記念台湾博覧会)では総督府主催の第一、第二会場のほかに台北周辺各地に分場が設けられ、板橋では林家に「郷土館」が設置された(p118-125)。総督府嘱託の尾崎秀真が奔走し、当時の林家管理人だった林伯寿(中国語版)が設置費用1,000円と土地を提供している。また骨董商でもあった一族の林熊光も自身のコレクション展示に協力している(p118-125)。三落大厝が郷土館会場となった博覧会(10月10日開幕、12月5日閉幕)では124,839人が参観し、その収入は4,000円以上となった(p124)。 Clip 1942年発行の観光旅行地図。板橋付近に園邸の記載がある。
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