伊東祐俊
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伊東 祐俊 | |
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生誕 | 佐賀県 |
所属組織 | ![]() |
軍歴 | -1913 |
最終階級 | 中佐 |
伊東 祐俊(いとう すけとし)は日本の陸軍軍人。最終階級は中佐。
生涯
略歴
佐賀県出身。歩兵第48連隊を経て明治天皇直属の近衛歩兵第2連隊第3大隊第11中隊長を務める[1]。日露戦争にも参戦し、奉天会戦・黒溝台会戦などで第一軍の先陣指揮をとる。近衛歩兵第1連隊第1大隊長として凱旋し、歩兵第3連隊、歩兵第2連隊で大隊長[2]、1910年から1912年まで陸軍水戸連隊区司令官。1913年1月に中佐で予備役編入。
親族
祐俊の妻エイチヨは、第9代鍋島藩主鍋島斉直の曾孫、皇族梨本宮妃伊都子の従姉にあたる。伊東家は飫肥藩の一族。家紋は庵木瓜。 伯父は元老院議官、貴族院議員、男爵の鍋島幹。
弟は海軍大佐で、第一次世界大戦において防護巡洋艦・「高千穂」艦長として戦死した伊東祐保。
栄典
脚注
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