瀬門神社とは? わかりやすく解説

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瀬門神社

読み方:セトジンジャ(setojinja)

教団 神社本庁

所在 愛知県幡豆郡吉良町

祭神 天照大御神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

瀬門神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/30 01:31 UTC 版)

瀬門神社

拝殿
所在地 愛知県西尾市吉良町瀬戸字宮西1
位置 北緯34度50分31.8秒 東経137度05分24.5秒 / 北緯34.842167度 東経137.090139度 / 34.842167; 137.090139 (瀬門神社)座標: 北緯34度50分31.8秒 東経137度05分24.5秒 / 北緯34.842167度 東経137.090139度 / 34.842167; 137.090139 (瀬門神社)
主祭神 天照大神豊宇気昆売神瓊々杵尊国常立神天兒屋根命[1]建速須佐之男少彦名命大己貴命[2]
社格 郷社
創建 不明
安寧天皇年間とする資料あり[1]
例祭 10月19日[1]
(10月第3日曜日[2]
主な神事 馬駈神事
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瀬門神社(せとじんじゃ[1]、せもんじんじゃ[3])は、愛知県西尾市にある神社。旧郷社[1]瀬戸(せと)神社の表記とする資料もある[4]

由緒

寛永8年(1631年10月5日の神職宅火災により社記を失ったため[2]、創建時期は不明[5](『神道大辞典』は安寧天皇年間創建と伝わるとしている[1])。建久6年(1195年[6]源頼朝東大寺再建時に上洛する折参詣し、社殿を修理したと伝えられる[4]永禄4年(1561年)、松平元康(家康)が吉良氏居城の東条城を攻略するため出陣した際、戦勝を祈願したと伝えられる[3]明暦3年(1657年)には、駮馬(まだらめ)村東条出身の幕府赤坂陣屋三河代官鳥山牛之助が願主となり再建されたとの記録がある。

古来から瀬戸・駮馬・寺嶋の三か村が共同で祀り、秋の祭礼では馬場(社殿東南の高原社南側)にて飾り馬による馬駈神事が行われる。

末社

  • 御鍬(みくわ)社[4]
  • 稲荷社[4]
  • 海神(かいじん)社[4](海を「わだつみの」と読む資料もある[7]

文化財・その他

  • 神事馬駈馬具(うまかけばぐ) - 室町時代江戸時代[8]前期 祭礼に奉納する飾り馬に用いる馬具。鞍11具、鐙11双[8]
  • 南極探検隊長・白瀬矗の墓 - 日本人として最初の南極探検を企てた白瀬矗の墓。

境内

脚注

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参考文献



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