白瀬海岸とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 白瀬海岸の意味・解説 

白瀬海岸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/17 02:54 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ロス海・ロス棚氷の地図(アムンゼンスコットによる1911-1912年の南極点到達ルートが記されている)。白瀬海岸はその北東部に位置する。内側に引かれた緯線が南緯80度線。

白瀬海岸(しらせかいがん、英語: Shirase Coast)は、南極大陸ロス棚氷北東部にあるロス海の海岸[1]。1912年にこの海岸の付近で南極探検を行なった、日本白瀬矗中尉に因む名称である[1]

地理

海を覆う棚氷によって陸地との境界が不明瞭になっている海岸線の一部であり、ロス棚氷東岸で最も北側にある区画である[1]

北はエドワード7世半島の北西端にあたるCape Colbeck(南緯77度7分・西経158度1分)、南はサイプル海岸英語版と接続する南緯83度30分・西経155度00分付近に至る範囲を指す[1]。北端のCape Colbeckで、マリーバードランドサウンダース海岸英語版と接する。

ロス棚氷とエドワード7世半島が接する地点にあるロス海の湾は大隈湾と呼ばれる。

白瀬海岸の北西沖(南緯76度40分・西経158度付近)には、この海岸に因んで名付けられた白瀬堆(Shirase Bank)[2]がある。白瀬海岸西方の棚氷中にはルーズベルト島がある。

歴史

1912年1月、白瀬矗率いる日本の南極探検隊は、この海岸にほど近いロス棚氷上の開南湾・クジラ湾に上陸し、南緯76度56分・西経155度55分の地点からロス棚氷上を南極点に向けて進んだ[1]。白瀬が「大和雪原」と命名した最南到達点(南緯80度5分・西経156度37分)は、白瀬海岸西方のロス棚氷上に位置している。「大和雪原」は国際的な地名としては認められている[3]

また、白瀬探検隊の別の隊(沿岸探検隊)のメンバーはエドワード7世半島[注釈 1]に上陸し、半島北部にあるアレクサンドラ山脈英語版の麓を探検している[1][4]。「大隈湾」「開南湾」などのエドワード7世半島周辺の地名は、この時に白瀬によって命名された。

「白瀬海岸」(Shirase Coast)という命名は、1961年にニュージーランドの南極地名委員会 (New Zealand Antarctic Place-Names Committee(NZ-APC)によって行われた[1]

白瀬に因む南極の地名

白瀬に因む南極の地名としては、白瀬海岸・白瀬堆のほか、昭和基地に近いリュツォー=ホルム湾奥の白瀬氷河(Shirase Glacier)[5]がある。

脚注

注釈

  1. ^ 当時は「キング・エドワード7世ランド」(King Edward VII Land)と呼ばれており、白瀬探検隊の探検記録『南極記』には「エドワード七世州」と記されている

出典

座標: 南緯77度50分 西経158度20分 / 南緯77.833度 西経158.333度 / -77.833; -158.333




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「白瀬海岸」の関連用語

白瀬海岸のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



白瀬海岸のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの白瀬海岸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS