航海の後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:30 UTC 版)
「ジェイムズ・ケアード号の航海」の記事における「航海の後」の解説
ジェイムズ・ケアード号は1919年にイングランドに戻された。1921年、シャクルトンはシャクルトン=ローウェット遠征を率いて南極に戻った。1922年1月5日、シャクルトンは心臓発作で急死した。遠征船クエストがサウスジョージア島に繋留されている間のことだった。 その年の後半、シャクルトン=ローウェット遠征の資金を出し、南ロンドンのダリッジ・カレッジではシャクルトンの級友だったジョン・クイラー・ローウェットが、ジェイムズ・ケアード号をカレッジに贈呈することを決めた。ボートは1967年までそこに置かれていた。ただし収容する建物は1944年の空襲で酷く傷んでいた。1967年、ボートは国立海洋博物館の管理下に渡され、修復された。その後は1985年まで博物館に展示され、その後はダリッジ・カレッジに戻され、ノースクロイスター(修道院)の新しい場所に置かれた。その下にはサウスジョージア島とウェールズのアベリストウィスから集められた石が敷かれた。この場所はジェイムズ・ケアード号の恒久的な展示場所になったが、時には大きな展示会、ロンドン・ボートショーやグリニッジ、ポーツマス、ファルマスでの行事に貸し出されることがある。海外ではワシントンD.C.、ニューヨーク、シドニー、ボンでも展示されたことがある。 ジェイムズ・ケアード協会は1944年に設立され、「南極における発見の著しい功績の記憶を保存し、顕彰し、アーネスト・シャクルトン卿の名前に関わる傑出した指導者資質を称賛する」ためとされている。
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