水夫、外国留学、海軍勤務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 03:55 UTC 版)
「ウィリアム・ペティ」の記事における「水夫、外国留学、海軍勤務」の解説
1623年、ハンプシャー・ロムジーで織元の第3子として生まれ、上の兄姉が早くに亡くなったため、事実上の長男として育つ。早熟でグラマースクールに通いながらラテン語・ギリシャ語を学び取り、職人たちの仕事を見つめる日々を過ごしたという。 1637年、14歳の時イングランド商船の水夫となったが、10ヶ月間の航海の後、足をくじいたのをきっかけにフランスのノルマンディー・カーンへ置き去りにされた。しかしカーンにあるイエズス会のカレッジで学芸(リベラル・アーツ)を学び、1640年頃にイングランドに帰国。1643年にオランダへ渡航するまでイングランド王の海軍で勤務した。この間1642年に国王チャールズ1世と長期議会が全面衝突して第一次イングランド内戦が始まり、地元ハンプシャーでも近郊で王党派・議会派の小競り合いが起こり予断を許さない状況だったが、ペティは内戦をよそにオランダへ渡り、1646年に内戦が終結するまでイングランドへ戻らなかった。
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