山梔窩脱出
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文久2年(1862年)2月16日,脱出する。真木保臣の蟄居は9年9ヶ月であった。 脱出時は黒頭巾,白木綿の鉢巻,伊賀袴を履き,肩には両掛姿の出で立ち。大鳥居家所蔵の槍を提げた。 脱出前に一首詠む。 やがて世の 春ににおわん梅の花 かた山里の 一重なりとも 門下生の淵上謙三が槍,吉武助左衛門が火縄銃で久留米藩の捕吏を威嚇し山梔窩を出立,鹿児島へ赴く。17日,高瀬(熊本県玉名市)の松村大成邸で四男真木菊四郎と合流。悪天候の航海の後,21日に阿久根,27日に鹿児島に到着した。 入薩前にも一首詠む。 ふくる夜の雪の吹雪の寒さ,へそでにおぼえわが誠かな,小夜深くしらぬたび路もひと筋の誠ばかりをしるべにぞゆく
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