クイーン・メアリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 07:40 UTC 版)
クイーン・メアリー(Queen Mary)は、英語でメアリー女王あるいはメアリー王妃を意味する。クイーン・メリーとも。
- ^ じゃこめてい出版、1993年1月29日発行、佐藤よし子、上田悦子共著「英国紅茶と手作りお菓子 楽しいティタイムの設計」P80「おしゃれなデザート<クイーン・マリー・ティー>」より。
- 1 クイーン・メアリーとは
- 2 クイーン・メアリーの概要
クイーン・メアリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 01:13 UTC 版)
「メアリー1世 (イングランド女王)」の記事における「クイーン・メアリー」の解説
メアリーという名の「クイーン」は、他にも3人がほぼ同時代のブリテンにいた。 メアリー・テューダーフランス王ルイ12世の王妃(1514年)。ルイ12世との死別後、兄のイングランド王ヘンリー8世の寵臣・初代サフォーク公爵チャールズ・ブランドンと再婚するが、1533年に死去するまでその称号は「ダッチェス・オヴ・サフォーク」(サフォーク公爵夫人)ではなく「クイーン・オヴ・フランス」(フランス王妃)のままだった。後にメアリー1世とイングランド王位を争って破れたジェーン・グレイは、このメアリー・テューダーとチャールズ・ブランドンの孫娘にあたる。 メアリー・オブ・ギーズスコットランド王ジェームズ5世の王妃(1538年 - 1542年)。ジェームズ5世との死別後も、生後6日でスコットランド女王となった娘のメアリー・ステュアートの摂政として1560年に死去するまで「クイーン・ダウェジャー」(王太后)だった。 メアリー・ステュアートスコットランド女王(1542年 - 1567年)。この間フランス王フランソワ2世の王妃(1559年 – 1560年)としてもクイーンだった。 メアリー女王、メアリー1世に限っても2人、メアリー・テューダーに限っても2人が存在することになる。
※この「クイーン・メアリー」の解説は、「メアリー1世 (イングランド女王)」の解説の一部です。
「クイーン・メアリー」を含む「メアリー1世 (イングランド女王)」の記事については、「メアリー1世 (イングランド女王)」の概要を参照ください。
- クイーン・メアリーのページへのリンク