サフォーク伯
サフォーク伯 (兼 バークシャー伯) | |
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創設時期 |
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創設者 | |
貴族 | イングランド貴族 |
初代 | ラルフ・ザ・ストーラー |
現所有者 | アレクサンダー・チャールズ・マイケル・ウィンストン・ロブサム・ハワード |
相続人 | アンドーヴァー子爵アーサー・チャールズ・アレクサンダー・ハワード |
付随称号 |
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モットー | Nous Maintiendrons ("We will maintain") |
サフォーク伯爵(サフォークはくしゃく、Earl of Suffolk)はイギリスの伯爵、貴族。封号はサフォークの地にちなんだものである。直近の創設は、ステュアート朝の廷臣トマス・ハワードが1603年に叙されて以来、ハワード家が保持するものである。これまでに何度か公爵位としても創設されている。
伯爵家の現在の居住地はウィルトシャー州マームズブリー近くのチャールトン・ハウスである。
現当主の保有爵位
現当主である第22代伯爵アレクサンダー・チャールズ・マイケル・ウィンストン・ロブサム・ハワードは以下の爵位を有する[1]。
- 第22代サフォーク伯爵(22st Earl of Suffolk)
(1603年7月21日の勅許状によるイングランド貴族爵位) - 第15代バークシャー伯爵(15th Earl of Berkshire)
(1625/26年2月7日の勅許状によるイングランド貴族爵位) - 第15代アンドーヴァー子爵(15th Viscount Andover)
(1621/22年1月23日の勅許状によるイングランド貴族爵位) - 第15代ウィルトシャー州チャールトンの,チャールトンのハワード男爵(15th Baron Howard of Charlton, of Charlton in the County of Wiltshire)
(1621/22年1月23日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
サフォーク伯 第1期
- ラルフ・ザ・ストーラー初代ノーフォークおよびサフォーク伯(1011年頃 - 1068年)
- ラルフ・ド・ゲール第2代ノーフォークおよびサフォーク伯(1040年頃 - 1096年)(1074年 剥奪)
サフォーク伯 第2期 (1337年)
サフォーク伯 第3期 (1385年)
- マイケル・ド・ラ・ポール (初代サフォーク伯) (1330年-1389年) (1388年 剥奪)
- マイケル・ド・ラ・ポール (第2代サフォーク伯) (1367年-1415年) (1398年 復帰, 1399年 剥奪, 1399年 復帰)
- マイケル・ド・ラ・ポール (第3代サフォーク伯) (1394年-1415年)
- ウィリアム・ド・ラ・ポール (第4代サフォーク伯) (1396年-1450年) (1444年に侯爵に、1448年に公爵に)
サフォーク公 第1期 (1448年)
- ウィリアム・ド・ラ・ポール (初代サフォーク公) (第4代サフォーク伯) (1396年-1450年) (1450年 剥奪)
- ジョン・ド・ラ・ポール (第2代サフォーク公) (第5代サフォーク伯) (1442年-1492年) (1463年 復帰)
- エドムンド・ド・ラ・ポール (第3代サフォーク公) (第6代サフォーク伯) (1472年-1513年) (1493年 公爵領明け渡し。1504年 公爵位剥奪)
サフォーク公 第2期 (1514年)
- チャールズ・ブランドン (初代サフォーク公) (1484年-1545年)
- ヘンリー・ブランドン (第2代サフォーク公爵) (1535年-1551年)
- チャールズ・ブランドン (第3代サフォーク公爵) (1537年-1551年) (1551年 消滅)
サフォーク公 第3期 (1551年)
- ヘンリー・グレイ (初代サフォーク公爵) (1517年-1554年) (1554年 剥奪)
サフォーク伯 第4期 (1603年)
- トマス・ハワード (初代サフォーク伯) (1561年-1626年)
- セオフィラス・ハワード (第2代サフォーク伯) (1584年-1640年)
- ジェームズ・ハワード (第3代サフォーク伯爵) (1620年-1689年)
- ジョージ・ハワード (第4代サフォーク伯爵) (1624年-1691年)
- ヘンリー・ハワード (第5代サフォーク伯爵) (1627年-1709年)
- ヘンリー・ハワード (第6代サフォーク伯爵・初代ビンドン伯爵) (1670年-1718年)
- チャールズ・ウィリアム・ハワード (第7代サフォーク伯爵・第2代ビンドン伯爵) (1693年-1722年)
- エドワード・ハワード (第8代サフォーク伯爵) (1672年-1731年)
- チャールズ・ハワード (第9代サフォーク伯爵) (1675年-1733年)
- ヘンリー・ハワード (第10代サフォーク伯爵) (1706年-1745年)
- ヘンリー・ボウ・ハワード (第11代サフォーク伯爵・第4代バークシャー伯爵) (1687年-1757年)
- ヘンリー・ハワード (第12代サフォーク伯爵・第5代バークシャー伯爵) (1739年-1779年)
- ヘンリー・ハワード (第13代サフォーク伯爵・第6代バークシャー伯爵) (1779年-1779年)
- トマス・ハワード (第14代サフォーク伯爵・第7代バークシャー伯爵) (1721年-1783年)
- ジョン・ハワード(第15代サフォーク伯・第8代バークシャー伯) (1739年-1820年)
- トマス・ハワード(第16代サフォーク伯・第9代バークシャー伯) (1776年-1851年)
- チャールズ・ジョン・ハワード(第17代サフォーク伯・第10代バークシャー伯) (1804年-1876年)
- ヘンリー・チャールズ・ハワード(第18代サフォーク伯・第11代バークシャー伯) (1833年-1898年)
- ヘンリー・モリヌークス・パジェット・ハワード(第19代サフォーク伯・第12代バークシャー伯) (1877年-1917年)
- チャールズ・ヘンリー・ジョージ・ハワード(第20代サフォーク伯・第13代バークシャー伯) (1906年-1941年)
- マイケル・ジョン・ジェームズ・ジョージ・ロバート・ハワード(第21代サフォーク伯・第14代バークシャー伯) (1935年- 2022年)
- アレクサンダー・チャールズ・マイケル・ウィンストン・ロブサム・ハワード (第22代サフォーク伯・第15代バークシャー伯 (1974年-)
- 法定推定相続人は長男のアンドーバー子爵アーサー・チャールズ・アレクサンダー・ハワード(2014年 -)
系図
出典
- ^ “Suffolk, Earl of (E, 1603)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年3月18日閲覧。
サフォーク公爵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 18:37 UTC 版)
「チャールズ・ブランドン (初代サフォーク公爵)」の記事における「サフォーク公爵」の解説
1509年にヘンリー8世が王位に就くと、ブランドンは王の寵愛を一身に受ける存在となった。テューダー朝時代の出世頭たちに典型的な、破格の地位上昇がブランドンにも訪れ、ブランドンはわずか5年で盾持ちからイングランドで最も高位の公爵にまで登りつめることになる。 1505年、ブランドンはカレー総督サー・アンソニー・ブラウン(英語版)の娘アン・ブラウン(1511年没)と婚約した。ブランドンとアンは教会法に則った正規の婚姻手続きを踏まずに、両人の合意による事実婚(per verba de praesenti)を選んだ。1506年に2人の間には長女が生まれた。ところが同年、ブランドンはアンの伯母で裕福な未亡人であるマーガレット・ネヴィル(1466年生)と結婚する。マーガレットはモンターギュ侯ジョン・ネヴィルの娘で、「キングメーカー」と呼ばれたウォリック伯リチャード・ネヴィルの姪である。ブラウン家はこの結婚を容認したものの、翌1507年にはブランドンはマーガレットとの結婚を解消し、1508年に正式にアン・ブラウンと結婚した。1510年に次女メアリーが産まれるが、その翌年にアンは没する。 1512年、ブランドンはライル子爵家の女子相続人でわずか8歳のエリザベス・グレイ(英語版)と婚約した。ヘンリー8世はこの婚約を踏まえ、1513年5月15日にライル子爵(英語版)位をブランドンに授けた。エリザベスとブランドンの結婚は実現せず、エリザベスはエクセター侯爵(英語版)の妻となった。 ライル子爵となったブランドンは、王に随行してフランスに赴き、さらにネーデルラントで神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の娘のネーデルラント総督マルガレーテ大公女を訪ね、皇帝の孫のスペイン王カルロス1世(次代の皇帝カール5世)とヘンリー8世の妹メアリーとの縁組について協議した。この機会にブランドンがマルガレーテ大公女に親密な態度で接するのを許されたことは、世間の注目を浴びた。 ブランドンは1513年(英語版)、1523年、1544年(英語版)の3回にわたり、対フランス戦争に指揮官として参加した。 1514年2月1日、ヘンリー8世はブランドンをサフォーク公爵に叙した。公爵位は王室の近縁者でテューダー家に反逆したエドムンド・ド・ラ・ポールから剥奪されたものであり、ド・ラ・ポール家の膨大な所領とともにブランドンに与えられた。当時、イングランドには公爵の称号を持つ者はノーフォーク公トマス・ハワードとバッキンガム公エドワード・スタッフォードの2人しかおらず、サフォーク公チャールズ・ブランドンは新たに3人目の公爵となった。ブランドンの王に対する影響力は、大法官トマス・ウルジー枢機卿に匹敵するとまで評されるようになった。
※この「サフォーク公爵」の解説は、「チャールズ・ブランドン (初代サフォーク公爵)」の解説の一部です。
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