ジェーン・グレイ擁立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 01:26 UTC 版)
「ジョン・ダドリー (初代ノーサンバランド公)」の記事における「ジェーン・グレイ擁立」の解説
1553年半ばになるとエドワード6世が悪性の感冒により危篤状態に陥った。ヘンリー8世はエドワード6世の次の王位継承権者として異母姉のメアリー王女(後のメアリー1世)を指定していたが、メアリー王女は熱狂的なカトリックであり、プロテスタント政策を遂行するノーサンバランド公を恨んでいた。彼女が即位したらノーサンバランド公は処刑され、カトリック政策が推し進められることは必至だった。 そのためノーサンバランド公としてはメアリー王女の王位継承を是が非でも阻止せねばならなかった。彼はヘンリー7世の曽孫にあたるジェーン・グレイを次の女王にすることを計画し、1553年5月には自らの六男ギルフォードをジェーンと結婚させた。そしてジェーンの即位がプロテスタント信仰を守る唯一の方法であるとエドワード6世を説得した。プロテスタントであるエドワード6世もメアリーのことは嫌っていたのでこの計画に同意し、ジェーンを次期女王に指名する遺言を作成した。 1553年7月6日にエドワード6世が16歳で崩御するとノーサンバランド公はただちにジェーンに即位宣言を行わせた。枢密院も全員ジェーン即位を支持した。しかしこれに反発したメアリー王女は7月10日にもフラムリンガム城へ逃れ、そこで同志の貴族を集めて挙兵した。ノーサンバランド公の予想に反して多くの人々が彼女のもとに集まった。とりわけプロテスタント色が強いはずの南東部の人々がメアリー支持に動いたことは計算外だった。 ノーサンバランド公はこれを鎮圧すべく傭兵部隊を率いてロンドンを出陣したが、部隊の戦意は低く、脱走兵が相次ぎ、戦闘できる状態になかった。また公爵がロンドンを離れて間もなくジェーン擁立を支持していたはずの枢密顧問官たちが続々とメアリー支持に寝返った。最後までジェーンへの忠誠を貫いたのはジェーンの父である初代サフォーク公ヘンリー・グレイとトマス・クランマーだけという状況だった。 戦況を絶望視したノーサンバランド公はメアリー1世の即位を認め、7月末にケンブリッジでメアリー軍に投降した。
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