ジェーン・シーモアとの結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 10:52 UTC 版)
「ヘンリー8世 (イングランド王)」の記事における「ジェーン・シーモアとの結婚」の解説
1536年のアンの処刑の翌日、ヘンリーはその侍女であったジェーン・シーモアと婚約し、10日後に結婚した。1537年にジェーンはエドワード王子(後のエドワード6世)を生んだが、ジェーンは産褥死した。ヘンリーは悲嘆にくれたが立ち直り、クロムウェルに次の王妃を探させた。 ヘンリーはウェールズをイングランドに統合し、エドワード王子を世継ぎとする一方、第二継承法でメアリー王女およびエリザベス王女を庶子の身分に落として王位継承権を奪った。 1539年にカール5世とフランソワ1世が同盟を結び、パラノイアとなったヘンリーは神聖ローマ帝国とフランスの連合による侵略を恐れるようになった。ヘンリーは修道院から没収した財産を使って沿岸部の防備を固め、ヨーロッパ大陸に同盟者を求め、新たな王妃をヨーロッパ大陸に探すようになった。
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