旧日本陸軍の衛生隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 06:26 UTC 版)
衛生部員は、大きく隊附衛生部員・衛生隊所属の衛生部員・野戦病院所属の衛生部員に分けられる。前者は部隊所属で後者は病院所属だった。両者は入営直後から教育課程が異なる。「病院付衛生兵」は陸軍病院の教育部に入営し、医学の講義と、実地習練としての病棟勤務を課せられる。数か月ごとの交代で連隊(聯隊)の医務室で軍医の助手を務めるが、基本的に陸軍病院勤務に終始する。それに対して「隊付衛生兵」は一般の歩兵・砲兵・騎兵・工兵・輜重兵・航空兵の中から選抜される。入営から3か月後に、師団長による第一期検閲が行われるが、その直後に上等兵候補者や特業兵(銃工兵・靴工兵・縫工兵・蹄鉄工兵・鳩兵・喇叭兵等)とともに「隊付衛生兵」が指名される。それと同時に「隊付衛生兵」に指名された者は兵科兵から衛生部兵に所属が変わり、たとえば歩兵であれば襟章や胸章(兵科章)の色が兵科の緋色から衛生部の深緑となる。 しかし、居住場所はあいかわらず入営部隊の内務班であり、衛生兵教育は連隊の医務室と陸軍病院で行われた。各連隊では週に2回の演習日があり、「隊付衛生兵」はかならず繃帯嚢を下げて参加しなければならなかった。このように「病院付衛生兵」と「隊付衛生兵」とでは、教育内容も看護能力も大きく異なっていた。そのためか、「隊付衛生兵」は戦闘経験のない者達からはヨーチンと蔑称され、外用薬としてヨーチンを使うことしか医療技術を持っていない者とされており、陸軍では「楽な任務」として「一にヨーチン、二にラッパ」と言われていた。診断及び治療は軍医の仕事であり、衛生兵が独断で処置できるのは小さなキズ、行軍中にできる足のマメ、インキンなど一部の皮膚病くらいなもので、それこそヨーチンで事足りるからであった。しかし、「隊付衛生兵」の重要な任務に、戦場で敵弾に倒れた兵士を弾の飛び交うなか後方へ後退させる事があった。戦地において将兵は勝手に後退することが許されず、戦友相互での応急手当には限度があった。また、負傷した戦友を置いて前進することもあったので、戦闘中に負傷した兵士は衛生兵がくると一安心であった。それゆえ実戦を経験した兵士達は「ヨーチン」ではなく「衛生兵殿」と敬意をこめて呼んでいたとされる。また、「衛生兵」という呼称は1937年の昭和12年2月12日勅令第13号陸軍兵等級表改正に伴って生まれた新しい呼称であり、それ以前は「看護兵」さらにそれ以前は「看護卒」と呼ばれていた。そのために、昭和初期頃は衛生部に属する兵のことを「ごっさん」と愛称していたそうである。 隊附衛生部員は、中隊に2名の衛生兵が配属される。大隊には原則として軍医2名(甲軍医と乙軍医)それに衛生下士官が1名配属される。甲軍医は衛生下士官とともに、仮包帯所(仮繃帯所)を設置し、乙軍医は最前線を巡って、負傷兵の火線救護を行なう。しかし、ほとんどの場合軍医の実際の定員は1名でやっとなので、軍医が火線救護を行なう例はほとんどない。連隊本部には高級軍医と衛生下士官(准尉・曹長クラス)が野戦救護所を設置する。 衛生隊は、師団ごとに1隊が編成配属された。車両編成のものは本部、担架中隊および車両中隊からなり、駄馬編成のものは本部および担架中隊からなった。要するに3個に分割、それぞれ独立して勤務できた。衛生隊長は歩兵もしくは輜重兵の大佐・中佐であり、その他に軍医長として軍医中佐が衛生業務の指揮をとった。その任務は戦闘に際し包帯所を開設しすみやかに傷者を収療、これを後送する。このほか行軍中の患者を輸送し、野戦病院の補助勤務をなすなどの副任務があった。 その携行する衛生材料は患者車、担架、衛生隊医极、隊医极、野戦手術台、野戦滅菌機器、手術燈、手術用天幕などで、その小行李に衛生材料のほか患者被服(毛布、蚊帳)、戦用天幕を、大行李に炊具、糧秣を納した。 戦闘中の任務は 前方作業 - 戦線の傷者を捜索し、必要であれば救急処置を施し、包帯所に輸送、主として担架中隊がこれに服した。 包帯所作業 - 包帯所は収容部、治療部、薬剤部、発送部に分かれ、車廠、馬繋場、炊事場などが附属した。包帯所での処置は救急包帯、副木の装着など輸送に耐え得る程度の初療を行ない、必要であれば血管結紮、気管切開、外尿道切開および遷延すべからざる切断術などの救急手術をも行うとされた。 後方作業 - 後方作業は包帯所を開設し、収容した傷者に必要な初療を施し、本部の衛生部員がこれに服した。後方作業は初療を終えた傷者を包帯所から野戦病院に後送し、車両中隊がこれに服した。 に分けられる。 野戦病院は1個師団に3~4箇程度存在した。野戦病院長は、軍医中佐もしくは軍医少佐である。1個野戦病院で100名程度の患者を収容できたが、自前の兵站組織や輸送手段をもたないため、機動的な活動も自衛戦闘もほとんど不可能であった。
※この「旧日本陸軍の衛生隊」の解説は、「衛生兵」の解説の一部です。
「旧日本陸軍の衛生隊」を含む「衛生兵」の記事については、「衛生兵」の概要を参照ください。
- 旧日本陸軍の衛生隊のページへのリンク