旧日本陸軍 東飛行場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 03:53 UTC 版)
「与那原飛行場」の記事における「旧日本陸軍 東飛行場」の解説
名称: 東飛行場(西原飛行場、小那覇飛行場) 場所: 西原村字小那覇、伊保 1944年3月、日本陸軍は西原 (東飛行場) と首里 (石嶺飛行場) と城間 (南飛行場) に小型特攻機用の新規飛行場を命じた。工事は国場組が請け負った。4月中旬に第3飛行場中隊が約39万㎡の農地を接収し、5月10日に飛行場建設に着工した。農作物の補償金を支払うということだったが、土地代は支払われないままになった。800m x 200mの滑走路という当初の計画であったが、持久戦を重視する第32軍の作戦変更により工事は進んでいなかった。 1944年10月10日の十・十空襲で米軍は爆撃しながら西原飛行場の空中写真を撮影し、下記のように分析している。後に与那原に侵攻した海軍はここに与那原飛行場を建設する。 「 同滑走路の右側見えるのは、舗装道路。湾に向かって並行して伸びているのは、排水路。同滑走路の建設前、ここには、サトウキビが植えられていたと思われる。 」 —1944年10月10日、十・十空襲で米海軍が撮影した写真のキャプション 参照 旧日本軍が沖縄に建設した15の飛行場
※この「旧日本陸軍 東飛行場」の解説は、「与那原飛行場」の解説の一部です。
「旧日本陸軍 東飛行場」を含む「与那原飛行場」の記事については、「与那原飛行場」の概要を参照ください。
- 旧日本陸軍 東飛行場のページへのリンク