藤原良積とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤原良積の意味・解説 

藤原良積

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/09 01:39 UTC 版)

藤原 良積(ふじわら の よしづみ、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族藤原式家豊後守藤原清縄の孫。民部大丞・藤原定代(または良代)の子。官位従五位下美濃介

経歴

陽成朝末の元慶7年(883年)5月の第30次渤海使の使節に対する饗宴において、容儀が優れていたことから良積は急に宴に参加することになった。饗宴で渤海大使・裴頲は即興で漢詩を書こうとしてを求めたところ、良積は自身が漢詩を作れなかったことに狼狽えて席を離れようとしたため、裴頲は漢詩を作るのをやめたと伝わる[1]。また、同年6月に発生した筑後守都御酉殺害事件の調査を行うために、同年10月に良積は推問筑後国殺害使に任ぜられて九州に下向した[2]

光孝朝末の仁和3年(887年美濃介として地方官に転じている。

官歴

日本三代実録』による。

脚注

  1. ^ 『日本三代実録』元慶7年5月10日条
  2. ^ 『日本三代実録』元慶7年10月9日条

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  藤原良積のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤原良積」の関連用語

藤原良積のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤原良積のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤原良積 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS