藤原藤嗣とは? わかりやすく解説

藤原藤嗣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 16:26 UTC 版)

 
藤原 藤嗣
時代 平安時代初期
生誕 宝亀4年(773年
死没 弘仁8年3月25日817年4月14日
別名 藤継
官位 従四位上参議
主君 桓武天皇平城天皇嵯峨天皇
氏族 藤原北家魚名流
父母 父:藤原鷲取、母:藤原人数藤原良継の娘)
兄弟 正雄藤嗣小屎
紀古佐美の娘
常房、高房宮房、宮作、春岡、善本、三清、上支、越岑、弥房、貞直
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藤原 藤嗣(ふじわら の ふじつぐ)は、平安時代初期の公卿。名は藤継とも記される。藤原北家左大臣藤原魚名の孫。中務大輔藤原鷲取の次男。官位従四位上参議

経歴

延暦12年(793年常陸掾に任ぜられると、中務少丞式部大丞を経て、延暦18年(799年従五位下叙爵される。のち、権右少弁大宰少弐を歴任する。

延暦25年(806年)4月に平城天皇即位すると、5月に従五位上、6月に従四位下と1年間で4階級の昇叙を受けるなど、平城朝で急速に昇進するとともに、右京大夫兵部大輔を歴任した。

大同4年(809年嵯峨天皇の即位に伴い従四位上に叙せられて、皇太子高丘親王(平城上皇の皇子)の春宮大夫に任ぜられる。また、右大弁陸奥出羽按察使も務める。翌大同5年(810年)に発生した薬子の変では嵯峨天皇側に付いて右近衛中将を兼ね、変後は摂津守を兼ねた。弘仁3年(812年参議兼大宰大弐に任ぜられ公卿に列す。のち右衛門督を兼ねた。

弘仁8年(817年)3月25日薨去享年45。最終官位は参議従四位上。

官歴

注記のないものは『六国史』による。

系譜

尊卑分脈』による。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『公卿補任』
  2. ^ a b c 市川久 編『近衛府補任』続群書類従完成会

参考文献





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