花山院家定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/11 03:08 UTC 版)
花山院 家定(かさんのいん いえさだ)は、鎌倉時代後期の公卿。権大納言・花山院家教の子。官位は従一位・右大臣。金光院入道右大臣と号す。花山院家9代当主。
- ^ 父・家教が左大将に任ぜられたために右近衛府に移った。
- ^ 後醍醐天皇の即位に関わる行事には出仕している。
- ^ 「ただ人」という表現である。さらに、内経の祖父家経も摂政を1年と勤めていない。
- ^ 『花園天皇宸記』正中2年(1325年)10月2日の条には、「前関白従一位藤原内経朝臣薨去、公者内大臣内実之長男也、起家嗣絶為関白、而頃年以來湎于酒、仍早世歟、別無芸能、以譜代之家風、起一代之中絶歟、年三十五、太堪傷嗟、使隆蔭朝臣訪経通卿、有返事、経通今年九歳云〃、二代早世、孤露不便事歟、」とある。
- ^ なお、この際に本来関白に就任する予定であったのは、官位が忠家よりも上で現役の大臣だった内経の祖父である家経であった。
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「花山院家定」の続きの解説一覧
- 1 花山院家定とは
- 2 花山院家定の概要
- 3 脚注
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