藤原為通とは? わかりやすく解説

藤原為通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/28 02:45 UTC 版)

 
藤原 為通
時代 平安時代後期
生誕 天永3年(1112年
死没 仁平4年6月13日1154年7月25日
改名 次太君/自他君(幼名)→為通
官位 正四位下参議
主君 崇徳天皇近衛天皇
氏族 藤原北家中御門流
父母 父:藤原伊通、母:藤原定実の娘
兄弟 為通伊実呈子
源師頼の娘
伊忠、泰通、性禅、猷玄、女子
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藤原 為通(ふじわら の ためみち)は、平安時代後期の公卿藤原北家中御門流太政大臣藤原伊通の長男。官位正四位下参議

経歴

崇徳天皇に寵愛される。大治5年(1130年叙爵され、右少将、左中将、備中介等を歴任。大治6年(1131年)従五位上の昇叙から、保延年間に従四位上まで昇進。永治2年(1141年)に正四位下に叙され、備後権介、左中将、蔵人頭等を経て、久安6年(1150年)に参議・中宮権大夫仁平2年(1152年)に丹波権守となるが、2年後に卒去。享年43。

五味文彦『院政期社会の研究』によると、康治元年(1142年)に藤原頼長と男色関係にあったと記される「四品羽林」、また久安3年(1147年)正月に情交を持っているのが為通だとされる。

官歴 [1]

幼名について

今鏡』によれば、その幼名「次太君」は祖父の藤原宗通が命名したもので、「次(郎)」は父である宗通の次男・伊通を指し、「太(郎)」は彼自身(伊通の長男)を表している。つまり「次太君」とは「宗通の次男である伊通の長男」という意味を込めた名前である。

系譜

脚注

  1. ^ 公卿補任




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