藤原兼長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/05 02:31 UTC 版)
藤原 兼長(ふじわら の かねなが)は、平安時代末期の公卿。藤原北家御堂流、左大臣・藤原頼長の次男[1]。官位は正二位・権中納言、右近衛大将。
- ^ 一般的には兼長は頼長の長男とされているが、樋口健太郎「藤原師長論」(『中世摂関家の家と権力』(校倉書房、2011年)所収、原論文は2005年)によれば、師長は保延4年2月生まれ、兼長は同5月生まれで、師長の方が3か月早く誕生したとされている。
- ^ 『台記』天養二年正月二日条
- ^ 樋口健太郎は忠通と兼長の縁組は基実の誕生後で、しかも摂関家の継承権を伴う養子縁組であったことから、縁組を強要された忠通の反発を招いた(兼長は基実の「兄」となり、摂関家の継承権が先となる)としている。なお、樋口によれば忠通と兼長の縁組は久安4年(1148年)11月に忠通が兼長の春日祭使派遣に対する協力拒否を示した(『台記』久安4年11月11日条)ことで事実上破綻した、としている(樋口健太郎「藤原忠通と基実-院政期摂関家のアンカー-」(初出:元木泰雄 編『保元・平治の乱と平氏の栄華』〔中世の人物 京・鎌倉の時代編第1巻〕(清文堂出版、2014年)/所収:樋口『中世王権の形成と摂関家』(吉川弘文館、2018年) ISBN 978-4-642-02948-3))。
- ^ 『今鏡』第5 188段。
[続きの解説]
「藤原兼長」の続きの解説一覧
- 1 藤原兼長とは
- 2 藤原兼長の概要
固有名詞の分類
- 藤原兼長のページへのリンク