平信範とは? わかりやすく解説

平信範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 16:46 UTC 版)

平 信範(たいら の のぶのり)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿桓武平氏高棟流、兵部大輔平知信の三男。官位正三位兵部卿。日記『兵範記』の作者として著名である。また、国宝平家納経の筆者のうちの一人と目される。


注釈

  1. ^ 『尊卑分脈』には信範の子として「蔵・少納言・従四位下」とあるが、他の史料にて確認されていない。ただし、その子とされる右京権大夫平宗清は『猪隈関白記』・『明月記』・『民経記』にて実在が確認されること、『兵範記』より正妻所生の男子が5名で「冠者」という幼名を持つ諱不明の末子が存在することも明らかなため、冠者=宗清の父の可能性はある[2]
  2. ^ 保元年間末期に深刻な問題で信範との関係が破綻し、所生男子2名は放氏されたと推定される[3]
  3. ^ 『尊卑分脈』清和源氏。ただし、実際には夫婦関係ではなく晩年の信範の身の回りの世話をした女性と推定される[4]

出典

  1. ^ 山槐記』治承3年6月10日条注記
  2. ^ 米谷、P123-124
  3. ^ 米谷、P104-105
  4. ^ 米谷、P91-92


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