かいき〔クワイキ〕【槐記】
槐記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/22 23:19 UTC 版)
『槐記』(かいき)とは、18世紀初頭の摂関・太政大臣であった近衛家熙の言行を、その侍医で遠州流の茶人でもあった山科道安が記した日記。はじめは『槐下与聞』と題された。
享保9年(1724年)正月に始まり、享保20年(1735年)正月まで至る。自筆本は明治26年(1893年)に火災にあい、4冊のみが近衛家陽明文庫に残る[1]。公家の文化や学問に関する記述が多く、特に茶の湯や香道、花道に関する文献として重視されている。茶道に関して、近衛家熙は宗和流、山科道安は遠州流であるため、両流派からみた当時の京における茶道界について記された記録は極めて貴重である。
書誌情報
- 刊本
- 『槐記』山田茂助(京都聖華房)、1900年
- 『槐記』(史料大観)哲学書院、1900年
- 注釈
脚注
- ^ 川崎佐知子「『槐記』山科道安自筆本焼失次第」『立命館文學』第630号、2013年3月。
参考文献
- >> 「槐記」を含む用語の索引
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