手習い
手習い歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 07:40 UTC 版)
手習い歌(てならいうた)とは、仮名を書く練習をするための手本とする和歌のことをいう(『日本古典文学大辞典』の説明に拠る)。すなわち上で述べた「なにはづ」と「あさかやま」の歌のことである。ただし現在一般には、日本語におけるすべての直音を表す仮名文字を一度だけ使い、文脈を持った韻文の形に整理されたもののことを言い、具体的にはいろは歌のことを指す。 なお「手習い歌」なる言葉は古くには存在せず、仮名を手習いするための手本についてはやはり「手本」と呼ばれていた。『源氏物語』の「若紫」の巻には、幼い紫の上を自邸に引き取った光源氏が、その仮名の筆跡を見て「いまめかしき手本習はばいとよう書いたまいてむ」と思うという場面がある。紫の上の仮名の書きぶりが祖母譲りの古風なものなので、今風の書体の仮名の手本を与えて手習いをさせれば、きっとそのようによく書きこなすだろうということである。また書道に関する藤原教長の言を記した『才葉抄』にも、「手本には古哥(古歌)古詩を書くべき也」とある。 明治時代の学者大矢透は『音図及手習詞歌考』を著しているが、書名の「手習詞歌」とは天地の詞(あめつちのことば)・大為爾の歌(たゐにのうた)・いろは歌のことを総称したものである。大矢透はこの三つが手習いをするために作られ用いられたものとしており、ゆえに天地の詞と大為爾の歌も現在一般には「手習い歌」と呼ばれている。しかし天地の詞が手習いに用いられたとする根拠として、『うつほ物語』の「国譲上」の巻の例があげられているが、実際の『うつほ物語』の諸伝本を見るとその用例とされる箇所は本文の異同が激しく、天地の詞が「手習い歌」として使われた例とするのは問題がある(天地の詞の項参照)。また大為爾の歌も文献上、天禄元年(970年)成立の『口遊』(くちずさみ)以外に見出せず(『口遊』自体も現在は古写本がひとつしか伝わらない)、結局このふたつが当時一般に「手習い歌」と見做され使われていたかどうかは不明である。小松英雄は天地の詞はほんらい漢字音のアクセント習得のために作られ、使用されていたとしている。また『口遊』はそもそも暗誦して様々な知識を覚えるよう編纂された児童用の教養書であり、大為爾の歌も本来書いて覚えさせるために収録されたものではないと見たほうが穏当である。
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